第88章―20
そんな風に月面到達を目指す試みが続いていた1622年4月、トラック基地には思わぬ訃報が飛び込んできていた。
多くの職員が各所に寄り集まっては、
「本当においたわしいことだ」
「日本の今上陛下も北米共和国の徳川秀忠大統領も、さぞ嘆かれているだろう」
そんな言葉を交わし合った。
1622年4月、日本の皇太子殿下が薨去されたのだ。
だが、その訃報を打ち消すかのような情報が、少し後で続けて流れた。
「日本の中宮陛下が御懐妊されているとは」
「今年の6月頃に出産予定とは」
「本当に入内されてからすぐに懐妊されているとは、神の祝福があるとしか思えない」
そんな感じで、今度の情報にもトラック基地内が騒ぎになることになった。
そして、その情報に接した上里秀勝は重大な決断を下すことになった。
(尚、後述するが、それを後押しするような情報が、秀勝の実母である織田(三条)美子を始めとする複数のルートから入ってもいた)
上里秀勝はトラック基地の主なスタッフを集めた会議の場で言った。
「絶対にこの件は直前まで、この会議の面々以外に対しては秘密を保て」
めったにない厳しい表情を浮かべて、会議の冒頭で秀勝がそう言い放ったことに、ほぼ全ての会議参加者が黙って肯くしか無かった。
「日本の中宮陛下の出産日に合わせて、人類初の月面到達を行うことにする。幸いなことに、今年の6月頃に実際の月面到達を行う予定だった。だから、中宮陛下の出産日に、月面到達を行うことは十二分に可能な筈だ」
秀勝はそう言った。
「そんな無理です。出産日に月面到達を行うことは。そもそも出産日が何時になるか、正確に分かることは不可能では」
会議の参加者の一人は、そう言い放った。
実際、普通に考えれば、その通りの筈である。
「確かに普通ならば、その通りだが。情報の出所は言えないが、此度の日本の中宮の出産は、帝王切開で行うことが事実上決まっているとか。それならば、ある程度は予定が立つ筈だ」
「そう言われれば」
秀勝と参加者の一人はやり取りをした。
「更にその際には、池田茶々らのチームで月面到達を行いたい。それこそ、自らの姪が月面に到達したというのは、叔父の徳川秀忠大統領にしてみれば、実孫になる日本の皇太子殿下が薨去したという傷心を慰めることにもなるだろう」
「確かにそれは良いことですな」
秀勝は更に言葉を続け、他の参加者の一人も同意した。
尚、この会議の参加者に、秀勝は言えないことだが。
この池田茶々の提案をしたのは、秀勝の妻の茶々の口添えもあった。
皇太子殿下の薨去が、徳川秀忠夫妻を悲しませているのを聞きつけた茶々は、少しでも徳川秀忠夫妻を慰めたい、と夫の秀勝に働きかけたのだ。
「では、その方向で月面到達計画を進める」
秀勝は会議の流れを読んだ上で、そう決断した。
一方、このことは池田茶々らにしてみれば、驚くしかない事態だった。
他の二人はともかく、池田茶々にしてみれば、確かに初めて月面到達ができるというのは素晴らしいことだが、その背景を聞けば聞く程、自らの血縁から初めての月面到達者に選ばれたのが分かり、素直にはとても喜べることでは無かった。
テレシコワやライドに対して、池田茶々は、
「初めて月面に到達できるのが私達なのを素直に喜べないわ。実力もないのに、何だか身内の不幸から、幸運が掴めたように思われてならないの」
そこまで零すことになった。
「それならば、訓練を積み重ねて、実力を更に磨けば良いのよ。そして、実力面でも文句を言わせないようにすればよいわ」
そう他の二人は、池田茶々を励ましたが。
池田茶々は少なからず悩みつつ、この初めての月面到達宇宙船の搭乗者という栄誉を受けることになった。
これで第88章を終えて、次話から間章といえる第89章になります。
第89章では、この世界の近衛家の騒動が描かれ、美子中宮らも巻き込まれます。
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