第88章―19
最もそのような対策が行えたのも、皮肉なことに第二段階の最終実験の一環として、月面到達用の三段式ロケットの発射が行われたことから、本格的に月面到達用の三段式ロケットを運用することになる第五段階の実施までに、ある程度の時間的余裕が得られることになり、様々な騒音等の対策を検討して、現実化できる余裕があったという事情があった。
勿論、実際に三段式ロケットの試験的運用は、第五段階より前に何処かでやっておかねばならないことであり、それが第二段階の最終実験と組み合わされたのは、ある意味では当然のことだったが。
ともかく、そうした次第から、実際のロケット発射時には、水を大量に散布する等の騒音等の対策を講じることができたのだ。
そういった積み重ねの末に、(この世界では)1621年末には何とか第五段階まで月面到達を目指す計画は遂行済みになっていた。
勿論、様々な齟齬がその過程で起きなかった訳ではない。
例えば、月面到達用の司令・機械船を北米共和国が、着陸船を日本が開発したことから、様々なすり合わせが上手くいかず、第二段階での実験は公式には成功とされたが、もし、有人状態だったら、宇宙飛行士が亡くなっていた可能性が極めて高い、と判定される有様だった。
又、そうしたことから、更なる宇宙飛行士に対する安全性確保が求められたことから、既述だが軽量化を本来は求められる着陸船の重量増大という事態が起き、こうしたことから、第四段階で行われる筈の司令・機械船と着陸船を搭載した状態での低高度地球周回軌道飛行から、地球への帰還については、着陸船は悪く言えば、張りぼてのほぼ同型で同重量の代物を積んで、それを着陸船代わりとして、実施せざるを得ないという有様になった。
その為に第五段階の実施が危ぶまれたことから、発想が転換されて、司令・機械船と着陸船(モドキ)の月周回軌道への投入が先行実施されることになった。
実際は着陸船の開発・製造は間に合ったのだが、地上における様々な安全試験が必要不可欠なことから、それをやっては第五段階の実施が更に遅れるとして、月周回軌道への投入が先行実施されるという予定は結果的に変更されなかった。
そして、司令船・機械船と着陸船の月周回軌道への投入だが。
やはり、無理はすべきではない、と後々から言われる事態が起きた。
それこそ司令船・機械船と着陸船の月周回軌道への投入ということは、裏返せば月の裏側に司令・機械船と着陸船がある間は、月の為に地球側と司令・機械船と着陸船側の交信は完全に不可能になる、ということでもある。
そして、宇宙空間滞在中の時間の7,8倍も地球上での宇宙船操縦等の様々な訓練を積み重ねた上で、心身共に問題無いとされている面々が宇宙飛行士として宇宙に赴くのだが。
そうは言っても、健康状態等で問題が起きるのはある程度は止むを得ないことだった。
司令・機械船と着陸船が少なくとも月の裏側にいる間は、3人の宇宙飛行士の内2人は常時、起きておくことで、緊急事態には共同で対処できるようにすることになっていたのだが、一人が眠れずに止むを得ず睡眠薬を使ったところ、嘔吐・下痢状態になってしまい、それこそ汚物が宇宙船内に飛び交い、又、止む無く一人だけが起きるという事態が起きたのだ。
だが、その代償という訳でもないだろうが。
有名な写真が撮影されて、世界に流布することになった。
月周回軌道から「地球の出」が撮影された写真である。
この後も複数の「地球の出」が撮影されているが、この時が最初の撮影で、しかも余りにも世界の人々に印象付けられたことから、「地球の出」の写真といえば、この時の写真が流布することになった。
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