第88章-17
さて、少なからず話は変わるが。
1618年にトラック基地は月面着陸に向けた一連の飛行計画を策定して、それを順次、実行していったのだ。
それは、大きく分けて7つの段階にまずは分けられており、その7つの段階は、それぞれ宇宙船の特定部分の性能や手順を確認するために必要と考えられたもので、次の段階に進むためには前段階の成功が絶対に必要と判断されていた。
第1段階、無人での司令・機械船の試験飛行の成功。
第2段階、無人での司令・機械船及び月着陸船の試験飛行の成功。
第3段階、有人での司令・機械船の低高度地球周回軌道飛行、更に地球への帰還成功。
第4段階、有人での司令・機械船及び月着陸船の低高度地球周回軌道飛行、更に地球への帰還成功。
第5段階、有人での司令・機械船及び月着陸船の遠地点7,400kmの楕円軌道飛行、更に地球への帰還成功。
第6段階、有人での司令・機械船及び月着陸船の月周回飛行、更に地球への帰還成功。
第7段階、有人での月面着陸、更に地球への帰還成功。
話が少なからず先走ることになるが。
後にはこれらに加えて、第6段階が成功した段階で、宇宙飛行士が短期間の月面滞在のうちに2度の月面船外活動を行う第8段階が追加され、更にはより長い3日の間に宇宙飛行士が月面に滞在して、月面車を使用して3度の船外活動を行うという第9段階が、第7段階が成功する前に策定されて、これに続く事態が引き起こされることとなった。
そして、第7段階が成功した後、第8段階の実施に先立って、司令・機械船に科学測定装置を搭載し、軌道滞在中に各種観測を行おうという、いわゆる第10段階が計画されることになり、これ又、この世界では第8段階や第9段階と同時に無事に遂行されたのだ。
そんな感じで、この世界の月面調査は、極めて順調に進捗することに最終的には成ったのだが、それは第9段階や第10段階の完遂となると1620年代も半ばに近い話になることであり、1621年から1622年が基本的な舞台であるこの章においては、余りにも先走った話になる。
だから、月面到達を目指す第1段階から第6段階までの進捗を、先ずは描くが、それにしても一筋縄ではいかない事態が起きた。
それこそ月面到達用のロケットの開発、製造だけでも、(既述だが)迷走する事態が起きたのだ。
最初はローマ帝国が国威を掛けて独自開発して製造する、と息巻いた(筈な)のだが、最終的には日本等の協力を得ての開発、製造に月面到達用のロケットは成らざるを得なかった。
とはいえ、月面到達への歩みを止める訳には行かない。
そうしたことから、第1段階から第4段階の成功までは、結果的には月面到達用の三段ロケットではなく、その前段階とされる二段ロケットでの打ち上げがほぼ行われる事態が起きた。
尚、このことが完全に悪かったということはない。
どうのこうの言っても、この二段ロケットでの打ち上げが繰り返されることによって、月面到達用の三段ロケットの第二段階と第三段階については、十二分な信頼性がトラック基地の内外から与えらえる事態が起きたからだ。
(月面到達用の三段ロケットの第一段階を事実上は省いているのが、この二段ロケットであり、更には低高度地球周回軌道へ、様々なモノを打ち上げることが可能だった)
そして、この二段ロケットは、それなりに量産されたことから、低価格を相対的にだが実現することが結果的にできて、更には低高度地球周回軌道へ、それなりの宇宙飛行士や宇宙船等を送り込むことができたのだ。
そのために、池田茶々らのような宇宙飛行士が、宇宙遊泳や宇宙船のドッキング等を実地に行って、経験を積み重ねることができたのだ。
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