第88章―9
尚、完全な余談だが、ティコ・ブラーエは、この世界では大きく運命がねじ曲がってしまった、と言っても過言では無かった。
それこそ(この世界でも)ブラーエはデンマーク王室と複数の縁が繋がる大貴族の出身だったのだが。
1571年に貴族でありながら、ブラーエは平民の娘といわゆる貴賤結婚をし、そのことから教会や多くの親族から疎まれる事態が起きた。
そういった背景から、それを気の毒に思っていた時のデンマーク国王フレゼリク2世は、1574年に北米共和国独立戦争が起こった際に、イングランドやスペインの動きを参考にして、デンマークも何らかの利益を得ようとする工作の一環として、ブラーエを北米共和国に赴かせる事態が起きたのだ。
(北米共和国では、貴賤結婚という概念が無く、ブラーエの妻は公然と妻として振る舞えたのだ。
尚、デンマークのみならず当時の多くの欧州諸国では、貴族の男性と平民の女性等との貴賤結婚は正式な結婚ではない、として、そういった女性は、周囲の人、世間からは妻ではなく妾扱いされていた。
更にフレゼリク2世としては、ブラーエの地位ならば、北米共和国上層部も軽んじまい、という思惑があり、他の大貴族が北米共和国行きに消極的だったのも好都合だった)
そして、ブラーエもデンマーク国王の期待に当初は応えるつもりだったのだが、結果的にそれは果たされなかった。
後に「欧州人として最初に天体望遠鏡を駆使した天文学者」の異名を、ブラーエは後世に遺す程に北米共和国の文物、特に天文学に魅了されてしまい、徳川家康らの知遇も得られたことから、北米共和国に腰を据えてしまい、更には北米共和国人に帰化までしてしまった。
そして、結果的に北米共和国で、ブラーエは天文学者として名を馳せ、更にケプラーを教え子として育てるようなことまでしたのだが、亡くなる直前まで、天文学への興味を失わなかった。
「本当に100歳まで生きたいよ。そうしたら、何処までのことが分かるだろうか。今でも、「皇軍知識」さえも、自分は理解できた気がしないのに、それ以上のことが分かっていくのだから」
そうブラーエは、ケプラーらの弟子に口癖のように言っていた。
そして、ケプラーらも、師の想い、言葉に寄り添わざるを得なかったのだ。
そんな想いをガリレオとケプラーは抱き、又、その二人の会話を周囲の科学者は聞いていたが。
そうは言いつつも、科学者として、それなりの話が進むのも当然だった。
「水星だが、自転と公転が同期していて、常に太陽に同じ面を向けている、と考えられていたが、それが観測技術の進化で否定されるとは驚いたな」
「全くだ。水星の公転周期は約88日、一方、自転周期は約59日。何故に2対3の比率になっているのか。本当に謎というか、興味深い話だ」
「その為に水星の1日は、2年になるとか。本当に面白い話だ」
「水星には、極めて薄い大気があるようだが、そうは言っても、寒暖差が厳しいし、それこそ太陽に近すぎる現実があるからな。遥かな未来でも、人類が植民地化できそうにはないが、実際に住んだら、1日が2年になるとか。確かに面白い事態だな」
ガリレオとケプラーは軽口を叩き合い、それを聞いた周囲の科学者も笑わざるを得なかった。
実際にガリレオとケプラーの会話は間違っていなかった。
「皇軍知識」でさえ、水星の自転と公転は同期している、とされていたのだ。
それが、様々な観測技術の進歩によって、完全否定される事態が起きていた。
「皇軍知識」で地動説等の衝撃を受けた欧州の天文学者にしてみれば、その知識が更に観測技術の進化等で否定されていく現実の前に、本当にどうにも嗤うしかない事態が生じていたのだ。
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