第88章―5
感想を読んだことから、一言。
どうのこうの言っても、この世界の日本は紙一重とはいえ、ロケット技術については、ローマ帝国や北米共和国に先行しています。
とはいえ、それを量産化して生産するとなると、ロケット兵器を愛好しているローマ帝国が、それなりに優れているので、エウドキヤ女帝の強硬な主張が相まって、月面到達用のロケットをローマ帝国が開発、生産する流れが起きたのですが、結果的にローマ帝国による最初の月面到達用ロケットの開発、生産が失敗した以上、日本がローマ帝国に協力する流れが起きました。
ともかく、そういったことから、月面到達ロケット開発は事実上はやり直しという事態が起きた。
さて、巨大ロケットエンジン自体の開発、製造ノウハウだが、日本がそれなりに先行していた。
それこそ世界最大のロケットエンジンを開発、製造しよう、と日本政府が逸り立った結果だった。
そして、1610年代初頭には、1基で650トンの推力発揮が可能なまでに巨大ロケットエンジンの開発、製造が日本では進められていたのだ。
上里秀勝長官らは、この日本の巨大ロケットエンジンの製造法等について、ローマ帝国のロケット開発、製造を行っている半官半民の企業に対して技術等を提供するように求めることで、月面到達ロケット開発を促進しようと考えたが。
日本政府は良い顔をしなかった。
特に陸海軍部が強硬に反対論を主張した。
何しろ巨大ロケットエンジンの開発、製造というが、言うまでもなく容易に大陸間弾道弾等に、その技術は転用可能なのだ。
もしものことを考えれば、日本の巨大ロケットエンジンの開発、製造技術を、ローマ帝国の半官半民企業に開示すべきではない、という日本の陸海軍部の反対は、ある意味では当然のことと言えた。
最終的には、上里秀勝が実母の織田(三条)美子の縁を使って、今上(後水尾天皇)陛下の御言葉を事実上は引き出して、その御言葉でようやく日本の陸海軍部は沈黙することになり、何とか日本の巨大ロケットエンジンの開発、製造技術がローマ帝国に提供されることになった。
(もっとも実際に月面到達ロケットが製造されることになると、結果的に一番儲けたのは、日本の企業群という事態が起きた。
巨大ロケットを製造するのに必要な部品の精密加工技術等は、どうのこうの言っても日本に一日の長があり、特に部品製造の為の工作機械は、ほぼ日本の独壇場だったのだ。
こうしたことから、後々になってだが、日本が最初から月面到達ロケットを開発していれば、と言われる事態が起きた)
そして、日本の技術協力が得られたことから、改めて月面到達用のロケットの再設計がローマ帝国で行われて、製造が試みられることになった。
とはいえ、最初の失敗に懲りたことから、まずは二段式のロケットを開発、製造して、現場を習熟させた上で、大本命となる月面到達用のロケットを三段式で開発、製造することになった。
更にこれは、実際に運用を行うトラック基地からの要望でもあった。
二段式ロケットを開発、製造して、それによって地球周回軌道で模擬の司令・機械船と着陸船を、まずは無人で運用し、更には有人で運用することで、月面到達の危険を低減させることが要望された。
実際、幾ら日本の技術協力が得られるとは言え、ローマ帝国のロケット開発、製造現場がそれを完全に習得するとなると、それなりどころではない時間等が必要であり、その間にも月面に到達し、その際に運用する司令・機械船と着陸船を、宇宙空間で運用することで、現場の技術を高める必要もあった。
そうしたことから、二段式ロケットの開発、製造が、トラック基地から求められる事態が起きたのだ。
そのために、まずは1616年を目指して、二段式ロケットの開発、製造が進められることになり、その運用に問題が無いか、を事実上は確認した上で、大本命の三段式ロケットの製造が行われることになった(尚、言うまでもないが、その間にも三段式ロケットについて、図面上の開発は行われることになる)。
そして、実際に月面に到達するのは、1620年になるとされていたが、月面到達用の三段式ロケットの製造となると、本当に現場は頭を抱え込み、更にトラック基地への運搬を考えると、最終的には日本を頼るという事態が起きた。
ご感想等をお待ちしています。




