第88章―3
ともかく人類初の月面到達の方法として、月周回ランデブー方式が採用されたのだが、それは難問の第一段階を、やっとの想いで乗り越えただけに過ぎなかったと言える。
それ以外にも、人類初の月面到達には、様々な問題が噴出することになった。
月周回ランデブー方式を採用する、ということは裏返せば、地球から打ち上げたロケットに、司令・機械船と着陸船を搭載して、月面に到達すると言うことである。
更に言えば、着陸船は月面に到達した後、下降段を発射台として使用することで、司令・機械船とランデブー、ドッキングを行わねばならないということでもある。
本当にどうやって、それを実現すれば良いのか。
現場の職員が頭を痛める一方で、更に地球から打ち上げられるロケットの性能から、少しでも司令・機械船と着陸船を軽量化することが求められる一方で、宇宙飛行士の生命維持の観点から、安全性確保が必要不可欠である、とされて、それを実現するとなると重量化が必要不可欠である、という矛盾した要求までもが為されることになった。
この為に正直に言って、現場の職員の多くが暴れて、月面到達の為に必要な司令・機械船と着陸船の開発を行うことは不可能です、と喚く事態が起きてしまった。
とはいえ、人類初の月面到達が求められている以上、それを不可能で済ませる訳には行かない。
そうしたことから、最大限に矛盾した要求を突き合わせた上で、何とか司令・機械船と着陸船を開発しようという事態が起きることになった。
そして、月周回ランデブー方式を採用することで、地球から打ち上げるロケットの規模は縮小されることになったが、1610年前後の技術からすれば、それでも気が遠くなる程の巨大ロケットの開発が必要不可欠になるのは止むを得ないことだった。
(史実を織り交ぜて描くことになるが。
月周回ランデブー方式を採用したとしても、月面に47トン、地球周回軌道ならば118トンの重量物を打ち上げ可能なロケットが必要不可欠なのだ。
もし、直接に月面を目指すならば、最低で月面に75トンの重量物を送り届けるだけの巨大ロケットの開発が必要不可欠、と計算されていた。
ちなみにこの世界の1610年前後、史実で言えば1960年前後の技術では、約5トンの重量物を地球周回軌道に送り込むのが精一杯だったのだ。
如何に史実のアポロ計画が無謀と言われても仕方のない計画だったのが分かる話である)
そういった背景事情から、日本、北米共和国、ローマ帝国等の企業が協力して、月周回ランデブー方式に必要なロケット、司令・機械船と着陸船を開発、製造していくことになったが、それには多大な時間と費用等が掛かるのは当然のことといえた。
当初の目標としては、1619年中に人類初の月面到達を目指そう、ということになっていたが、実際にやってみると、様々な分野で問題が続発して、それを乗り越えれば、更に別の問題が発生する事態が、ということが稀では無く、徐々に計画は遅延していくことになり、最終的には1622年に月面到達が果たされることになった。
(幾らこの世界の三大国に加え、それ以外の多くの国も協力を惜しまなかったとはいえ、それこそ史実でアポロ計画を行ったアメリカ合衆国の国力より、この世界全体の力は劣っているといえるのだ。
もっとも史実だと、この頃はベトナム戦争が本格化して、米ソの核兵器生産競争等が行われていた時代でもあり、それに対して、この世界では世界三大国が微妙な緊張関係にあるものの、少なくとも本格的な核兵器を始めとする軍拡競争を行っていないことから、宇宙開発に国力を注ぎ込めることで、史実にそう見劣りしない宇宙開発が可能になった)
本文中に描くと散漫になるので、省略しましたが。
月面に直接、到達して、更に地球に帰還できるだけの宇宙船を打ち上げようとするならば、約200トン以上の重量物を一度に地球周回軌道に運搬できるだけの巨大ロケットの開発製造が必要で。
それこそ史実世界では未だに開発製造できていない、史実のサターンⅤロケットの2倍近いロケットを開発する必要があることに。
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