第88章―2
描写が一部、重複しますが、前の部で描いたことなので、ここで描かないと、作者の自己満足の描写になると危惧した次第です。
池田元助が、そんな苦悩の日々を送る一方で、史実で言えばアポロ計画、この世界で言えばカグヤ計画は徐々に進捗しており、1622年春の月面着陸を目指していた。
さて、月面にどうやって人類を送り込むのが相当なのか。
それを改めて述べる、描くならば。
最初期に人類が初めて月面に到達する方法として、考えられたのは4つの方法だった。
1つ目の方法が直接降下で、単体のロケット、宇宙船で月に向かい、着陸して帰還する方法だった。
2つ目の方法が地球周回ランデブーで、複数のロケットで部品を打ち上げ、直接降下方式の宇宙船および地球周回軌道を脱出するための宇宙船を組み立てる方法である。軌道上で各部分をドッキングさせた後は、宇宙船は単体として月面に着陸することになる。
3つ目の方法が月面ランデブーで、二機の宇宙船を続けて打ち上げ、燃料を搭載した無人の宇宙船が先に月面に到達し、その後人間を乗せた宇宙船が着陸する方法である。地球に帰還する前に、必要な燃料は無人船から供給される。
4つ目の方法が月周回ランデブーで、いくつかの単位から構成される宇宙船を、1基のロケットで打ち上げ、着陸船が月面で活動している間、司令船は月周回軌道上に残り、その後活動を終えて離昇してきた着陸船と再びドッキングする方法である。
この4つの方法の利点、欠点について、科学者や技術者は甲論乙駁の激論を交わすことになった。
そもそも論を言えば、この世界の宇宙開発は、1590年前後に徳川家康が月面探査計画をぶち上げたことから始まったことといって良いことである。
(尚、真実を言えば、徳川家康としては、そんなつもりは毛頭なく、宇宙開発は北米共和国が日本本国にどうやって攻撃を行うのか、という方策から始まったことというのは。
それこそ、1620年前後のこの世界では、知る人ぞ知る事実と言って良い状況だった)
そんな表立ってはあからさまに言えない真実も相まって、様々に迷走極まりない、といって良い事態が、この世界では最終的には引き起こされたのだが、如何に早く月面に人類を送り届けられるのか、といった観点から、議論の決着が1610年代初めには事実上は付けられた。
上記の4つの方法で、どれが最善なのか。
最終結論として選択されたのは、(この世界でも)月周回ランデブー方式だった。
これは他の方式と比較すると、月周回ランデブー方式はそれほど大きな着陸船を必要とせず、そのため月面から帰還する宇宙船の重量(すなわち地球からの発射総重量)を最小限に抑えることができる、という利点が、他の様々な欠点を覆い隠したといえる結果から起きた事態だった。
勿論、月周回ランデブー方式にも様々な欠点があった。
特に最大の欠点として、1610年前後に主張されたのが、月面への着陸船と司令船のドッキングが、本当に月周回軌道で可能なのか、ということである。
何しろ1610年前後となると、それこそ人類が初めて宇宙空間に赴いた前後であり、地球周回軌道においてでさえ、宇宙船同士のドッキングが全く行われていなかったのだ。
それなのに、地球周回軌道どころか、月周回軌道で宇宙船のドッキングを行うことで、月面へ人類を送り込もう等は妄想極まりない、と世界中から叩かれても当然、と言われて仕方のないことだった。
だが、実際問題として、月面へと着陸船を送り込むために巨大ロケットは必要不可欠なことで、更に月面到達に必要なロケットの大きさを考える程に、月周回ランデブー方式以外で月面到達を成し遂げようとするとなると、巨大ロケット開発に必要な時間が多大に必要である、と考えられることになった。
その為に月周回ランデブー方式が採用された。
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