第87章―5
そんなことが実母である中宮の美子の身に起こった前後、上里松一は、折を見ては宮中に赴き、文子内親王のご機嫌伺いをする羽目に陥っていた。
件の入内の儀があった日、見知らぬ人ばかりでご機嫌斜めになった文子内親王の機嫌を直そうと、他の自分の同父母兄姉妹と共に松一は奮闘したのだが。
その結果として、松一は文子内親王に一人だけ気に入られてしまったようなのだ。
(実母の美子や文子内親王の実の両親になる今上(後水尾天皇)陛下や千江皇后陛下によれば、松一が一番に文子内親王の下に駆けつけて、色々と頑張ったことから、文子内親王の記憶に最も残ってしまい、松一が気に入られたのではないか、とのことだが。
満3歳にもならない文子内親王は、そういったことについて、幼いことから明確に理由を言わず、単に「松一」、「松一」と慕う有様で、数日に亘って松一が文子内親王に逢わずにいると、周囲に当たり散らされるとのことで、却って松一が対処に困る事態を引き起こしていた)
松一が宮中に赴くこと自体に、そう問題が無いのも、この一件を助長している。
何しろ松一は従五位下の官位持ちで、宮中に自由に出入りできるからだ。
そんなことから、今日も今日とて、松一は宮中に赴いて、文子内親王のご機嫌伺いをして、遊び相手を務める羽目になっていたのだが。
「中宮陛下が御懐妊された、と(宮中)女官が小声で言っていたの。私の弟妹ができるの」
(細かいことを言えば、微妙に舌が回っておらず、たどたどしい言葉だったが)文子内親王は、松一にそういきなり言い出して、松一は固まらざるを得なかった。
松一とて、それなりの年齢であり、実母が入内した以上、今上陛下との間に子どもを何れは作るのが分かってはいたが、文子内親王の言葉に驚かざるを得なかった。
とはいえ、動揺を示す訳には行かない、そう松一は考えて、文子内親王に寄り添って、
「そうなの。弟かな、妹かな、どちらが良いかな」
と話しかけたのだが。
それに対する文子内親王の言葉は、松一の予測を完全に越えていた。
「うーん、中宮陛下は一度に何人もの子どもを産むらしいの。だから、弟も妹もできると想うの」
「えっ」
流石に松一は目を回す想いがしながら、絶句してしまった。
母が妊娠した、というだけでも衝撃なのに。
多胎妊娠したというのか。
余りの衝撃に、文子内親王の下を慌てて去って、松一は母の美子中宮の傍に赴いてしまった。
松一が文子内親王の下に度々赴いていたこともあって、美子が入内後も、そう間を空けることなく松一と母の美子は逢っていたのだが、そういう目でみていなかったこともあって、松一は母の妊娠に全く気付いていなかった。
更に、まだ妊娠中期ということもあり、松一の目からは母は妊娠しているとは、今一つ分からなかったが、松一は文子内親王の言葉を根拠にして、母に妊娠の件を問い質した。
「あっ、バレたか」
美子は気まずかったこともあり、松一に韜晦するような言葉を掛けたが、それは松一には逆効果にしかならなかった。
「母上、本当のことを言ってください」
松一は更に問い質すことになり、美子は正直に答えた。
今年の6月頃に出産見込みであること、更に侍医団の多くが、多胎妊娠ではないか、と診立てていること、最大で6人を出産する可能性があること、美子は正直に、そう松一に答えたのだ。
松一は目が眩む想いがした。
母がいきなり複数の子を産む、最大で6人の子を産むとか。
自分としては信じられない、というよりも、信じたくないレベルの話だ。
「バレた以上、教平とかにも貴方からまずは伝えて、他の子にも私から説明するわ」
「分かりました」
母の言葉に従いつつ、松一は頭を抱え込んでしまった。
これで、第87章を終えて、次話からこの世界の月面初到達を描く事実上の最終章になる第88章になります。
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