第87章―1 今上(後水尾天皇)陛下への鷹司(上里)美子の入内とその余波
新章になる第87章の始まりです。
尚、この章では今上(後水尾天皇)陛下と鷹司(上里)美子の入内の儀と、それに伴う様々な余波が描かれることになります。
そんなこんなが、外国ではあったのだが。
1621年9月、鷹司(上里)美子は今上(後水尾天皇)陛下の下に、中宮として入内していた。
そして、入内の儀には、実際に今上(後水尾天皇)陛下と鷹司(上里)美子の濃い身内しか参列せず、極めて小規模に行われてはいたのだが。
上里清は、入内の儀が始まる直前、思わず天を仰いでいた。
確かに参列者は少ないが、それこそ世界の枢要人物が集まっている、と言っても過言ではない。
もしも、この入内の儀の場で爆弾が炸裂等しては、本当に世界が吹っ飛びかねない。
この入内の儀の場には、当然に新郎新婦になる、今上(後水尾天皇)陛下と鷹司(上里)美子がいる。
そして、新郎の弟になる近衛信尋と一条昭良が参列している。
又、新婦の養父になる九条兼孝とその弟にして美子の義父になる鷹司信房、更には新婦の義兄になる九条幸家、幸家の子になる二条康道も参列している。
つまり五摂家の当主全員が、この入内の儀に参列しているのだ。
そして、伊達政宗首相も、新婦の従兄であることを口実にして、入内の儀に参列している。
(従兄なのだから、参列しなくとも、と自分は考えたのだが、政宗は政府の代表として見届ける義務があるとまで言った末に、強引に参列しようとした。
それを聞いた今上陛下が呆れて、実際に従兄でもあるとして参列を認めたのだ。
尚、娘の美子に言わせれば、自分が入内するのか、見届けないと政宗は安心できない、とのことで。
自分は、何故にそこまで、政宗が心配するのか、どうにも不思議だった)
更に言えば、長年に亘って尚侍を務めた織田(三条)美子も、新婦の伯母として参列している。
本当に日本国内の枢要人物だけでも怖ろしいのに、国外にも目を転じるならば。
ローマ帝国からは、元帝国大宰相の上里勝利が、新婦の伯父として参列している。
北米共和国からは、武田信光前大統領の実母の武田(上里)和子が、新婦の伯母として参列している。
又、徳川秀忠大統領の実子になる徳川千江皇后陛下と九条完子、広橋正之も参列しているのだ。
本当に世界の三大国の枢要人物が集っている、と言っても過言ではない。
そして、結果的と言えるが、自分の兄弟姉妹9人が勢揃いしており、入内の儀が終わった後、兄弟姉妹の仲を改めて深めよう、と長姉の織田(三条)美子が音頭を取って言いだし、結果的に他の8人全員も賛同して、9人全員が集まることにもなっている。
清は改めて想った。
本当に、父の松一がこの光景をあの世から見たら、どう想うだろうか。
父の男系子孫は、道平兄さんにも、弟の丈二にも息子どころか、男の孫がいるので続いているが。
上里家としては、娘の美子の子が次期当主になるので、男系としては絶えることになる。
とはいえ、女系ではつながるし、更に摂家の鷹司家の子である以上、上里家に当主として迎えるのは、勿体ないこととしか、言いようがない。
そして、このことに加え、実母である美子が中宮として入内したことも相まって、養子の松一は従五位下の官位を与えられ、昇殿の資格も持つことになり、上里家が摂家の一員であると示すことになった。
(この世界の当時、10代前半で従五位下以上の官位を与えられるのは、摂家の当主か次期当主のみ)
元をたどれば、「皇軍」の一員だったとはいえ、大尉で退役しており、後は専ら財界人で生涯を送った松一父さんにしてみれば、子孫がこのように繫栄するとは、本当に想わぬことだろう。
1595年に松一父さんが亡くなった際、妹の敬子は九条兼孝の正妻だった等、公家社会と上里家は、それなりに既に縁を結んではいたが。
まさか、自分の孫娘が入内することになるとは、松一父さんは想わなかっただろう。
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