第86章―6
余りにも話がズレたので、エウドキヤ女帝と上里勝利の対談の場に話を戻す。
「それにしても、我が帝国内、特に旧ロシア地域は、本当に様変わりしましたな。羽柴秀吉殿の遺言が、本当に現実のことになるとは」
「「モスクワを五海の港に」というあの遺言を、初めて受けた際には、何と壮大な夢を語るのか、と想ったものだが。羽柴秀吉が、パナマ運河建設を成し遂げた技術者ならば、できるのでは、と考えて、実際に着工して本当に良かったことよ」
上里勝利の言葉に、エウドキヤ女帝はしみじみと言った。
1621年現在、20年近い歳月を掛けて、ようやく白海、バルト海、カスピ海、アゾフ海、黒海を結ぶモスクワ運河を始めとする大運河網が完成していた。
それこそ国の財政が傾く程の大工事であり、この為にユーラシア大陸横断鉄道建設の資金が不足することとなり、北米共和国から借款を(内密にだが)受けざるを得ない程だった。
だが、それだけの甲斐はあった。
大運河網の完成を証明するかのように、多くの外洋船が運河網を行きかっており、その中には軍艦まであるのが現実だった。
運河のサイズの問題等から、基本的に5000トン以下に限られるとはいえ、それでも直に海に赴ける船舶が、内陸の運河網を実際に航行して、5つの海に赴くことが出来るのだ。
実際、コンスタンティノープルの海軍工廠で建造された排水量、約4000トンの巡洋艦が大運河網を経由して、バルト海やカスピ海に赴くことが出来るようになっていることは、バルト海沿岸諸国に激震を奔らせ、又、サファヴィー朝ペルシャ等に対する威圧にもなっている。
そして、その大運河網の結節点と言えるのが、モスクワだった。
ところで、ローマ帝国と名乗る以上、帝国の首都はローマということになっているが、史実でも、多くの時代にそうだったように、実際にはローマに皇帝は住んでいなかった。
エウドキヤ女帝が住んでいるのは、コンスタンティノープルだった。
これは、オスマン帝国との国境都市でもあるコンスタンティノープルに自らが住むことで、オスマン帝国を怖れていない、というのを暗黙裡に示すと共に、(東)ローマ帝国の正統な後継者であると言うのも示す為だった。
又、皇太子のユスティニアヌスは、妻子と共にモスクワに住んでいた。
表向きは、ローマ帝国がロシア、シベリアを気に掛けており、又、モスクワ大公国の正統な後継者であることを示すため、とされているし、実際にその意味もあるのだが。
裏では、皇太子妃のマリナ・ムニシュフヴナが、義母になるエウドキヤ女帝を怖れる余りに、義母との同居を嫌がったため、という噂がささやかれており。
それが事実なのを、エウドキヤ女帝も承知していた。
最もエウドキヤ女帝は、息子の嫁になるマリナのことを、余り気に掛けてはいない。
自らの数々の所業から、息子の嫁に怖れられても仕方がない、と達観しているからだ。
更に言えば、ユスティニアヌスや浅井亮政、上里勝利や藤堂高虎といった皇室や帝国政府最上層部の面々にしても、この嫁姑関係については、このままがある意味では最善だ、と割り切っていた。
「そういえば、ペトログラードがバルト海との出入口となって順調に都市として発展していますな。フョードル・ゴドゥノフが市長として奮闘しているとか」
「旧敵の息子でも有能なので評価しただけよ」
「それでも良いことだ、と考えます。モスクワ奪還戦争から約20年が経ちます。そろそろ戦争の傷を完全に癒すときです」
「言われれば、その通りだな」
上里勝利とエウドキヤ女帝はしみじみと語り合った。
そして、二人は他の国々、特に建国して40年が経つ北米共和国の現状に、思わず想いを馳せた。
偽帝として処刑されたボリス・ゴドゥノフの息子のフョードル・ゴドゥノフは、モスクワ奪還戦争の和解の一つとして、新しく建設されたペトログラード市長に任じられていました。
(これはペトログラードが、ヴォルガ・バルト水路とバルト海を繋ぐ結節点であり、水路管理の必要性があるという事情も相まってのことです)
次話からは、2話近く、鷹司(上里)美子の入内に対する徳川家の対応がまずは描かれた上で、北米共和国の現状が描かれます。
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