第85章―15
実際に今上(後水尾天皇)陛下と鷹司(上里)美子の会話の内容は正しかった。
日本や琉球の海軍の協力も得て、再建された明帝国海軍は懸命に明帝国南部の沿岸を警戒して、麻薬と武器の交易、というより物々交換を阻止しようとしたが。
そもそも論になるが、明帝国海軍の軍人を育てるのも一筋縄ではいかなかった。
この時代になってくると、それこそ麻薬と武器の交易をおこなう密輸商人が使う船だが、ガレー船や帆船どころか、機帆船でさえも時代遅れに近く、表向きは漁船に擬装した高速艇が用いられることが増えるという状況が起きていたのだ。
この密輸で用いられる高速艇だが、1時間に満たない短時間ならば、30ノットオーバーの高速発揮が可能な代物さえも、それなりどころではなく、存在するのが現実だった。
こういった密輸船に対処するとなると、必然的に明帝国海軍の軍艦の最高速力も、30ノットオーバーが必要不可欠と言う事態が引き起こされることになる。
だが、そこまでの高速が発揮可能な軍艦となると、必然的に全鋼鉄製の軍艦を明帝国海軍は保有せざるを得ないし、更にそれを操れる軍人を育てない訳には行かないのだ。
軍艦は(相対的な話だが)日本等から購入することで容易に調達することが出来たが。
軍人を育てるのは、そう容易なことではない。
それこそ日本から海軍軍人の教官を多数派遣して貰って、やっとの想いでそういった軍艦を操れる海軍軍人を育てる事態が起きるのはどうにもならないことだった。
更にこの点については、難儀なことがあった。
皮肉なことに華北、華中については、それこそ京杭大運河建設、改修大工事の結果、多数の流賊等が働ける場を得られたのだが。
華南については、そういった大規模工事が無く、流賊等が転職する例が乏しかったのだ。
そして、華南程、明帝国の外に出稼ぎに行った華僑が多く、そういったことから、元倭寇であり、正業に転じていない面々も、その中には相対的に多くいて。
彼らと流賊等が連携して、麻薬と武器等の密輸に携わる例が多発したのだ。
ともかく、そうしたことから、実際には治安維持の為に、ある程度は広範囲に明帝国内に分散せざるを得なかったが、まずは広州方面に新生なった明帝国軍の主力は展開することになり、更に沿岸部から、内陸部へと流賊等を追い立てることで、流賊等への武器等の供給を断とうとすることになった。
それこそ海禁政策と言っても過言では無く、善良な漁民にまで明帝国軍の嫌疑が及んだ結果、却って彼らの一部が流賊に味方する事態が起きる程だった。
だが、そこまでしないと逆説的に流賊等と元倭寇等の連携が断ち切れないのも現実だった。
航空機までも投入して海上哨戒活動を、明海軍は日本海軍や琉球海軍と協力して行い、又、様々な情報収集活動を並行して行うことで、少しずつだが東南アジア方面、現実世界で言えば南シナ海や東シナ海からの武器と麻薬の交易ルートを潰していくことになった。
すぐにすぐ、こういった明海軍の行動が効果を上げたとは言い難かったが、数年を掛ける内に徐々に明海軍の実力は、実戦(?)を経験することで徐々に上がることになり、そうなっていくと明陸軍も徐々に戦果を上げられるようになり、華南の沿岸部から流賊は追い払われ、又、元倭寇等が流賊に武器を供給するルートも切断されるようになっていくようになった。
勿論、こういった密輸ルートを完全に切断するのは、困難極まりないとしか言いようがない。
だが、その一方でこういった密輸ルートを使った密輸の成功率が低下しては、徐々に流賊と元倭寇との連携が困難になるのも自明の理と言って良かった。
そして、流賊は内陸部に追い込まれていった。
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