第85章―10
さて、少し視点を変えるが。
本来ならば、明帝国は国力が疲弊しきっており、更に外国の脅威が大幅に低減したことから、大規模な軍縮を行うべきだった。
だが、流賊が国内で跳梁しているという現実が、明帝国全土で約80万人もの陸軍(というより国家憲兵(警察軍))を必要とする状態を引き起こしていた。
更に言えば、そう簡単に明帝国は軍縮を行う訳にも行かなかった。
軍人というのは、皮肉なことに職業の一種でもある。
だから、軍縮というのは、必然的に失業者の群れを造ることになりかねないのだ。
国が安定した状況にあれば、少々の失業者が出ても、容易にその失業者は転職等できるが、この頃の明帝国のように荒廃した状況にあっては、下手に軍縮することすら、却って失業者の群れを生み出し、それが流賊に転じて、治安の悪化等を引き起こすのが現実だった。
それこそ日本に身近な例で言えば、元寇がそれに近い代物だった。
世間的には意外に思われそうだが、南宋は軍事大国だった。
対金、対元戦争を長年に亘って南宋は続けており、元が南宋を征服した結果、何十万人もの旧南宋の軍人が元の軍人に成ろうとする事態が起きたのだ。
更に言えば、当時の元に必要な軍人は、それこそ仲が険悪化したチャガタイやキプチャク等とモンゴルの地で戦うための騎兵が主力であり、歩兵が主と言える南宋の軍人は、そういった点でも不要だった。
だが、南宋の軍人を下手に雇用せずにいては、それこそ南宋復興の大規模挙兵が起きかねない。
こうしたことも一因となって、元寇は行われた。
元にしてみれば、弘安の役の江南軍は旧南宋の軍人が主力であり、それこそ死んでも惜しくない兵達ばかりだったのだ。
日本を征服して、そこに屯田して駐留してくれれば幸い、仮に遠征に失敗して死んでも惜しくない。
そういった冷たい観点からも、元寇は行われたのだ。
又、中世の欧州世界等でも似たような事態が起きた。
例えば、英仏百年戦争等において、庶民にとって休戦条約締結は災厄の前兆と言えた。
それまでは、軍隊としてそれなりに統制があった兵達が失業して、盗賊団と化したからだ。
何しろ多くの殺人のプロが、失業して強盗団に転じるのだ。
庶民にしてみれば、休戦期の方が身の危険を覚えてならなかった。
こういった側面もあって、明帝国軍は、それなりの兵力を当面は維持するしか無かった。
とはいえ、唯でさえ荒廃している国力に負担を掛け続けることはできない。
その為にも速やかに流賊を討伐して、明帝国内の治安を回復し、それによって国力を増強して、軍縮を可能にするという綱渡りのようなことが試みられることになった。
立花宗茂らが、袁崇煥らの明帝国軍の将帥にまずは求めたのが、軍の規律維持だった。
「良い鉄は釘に成らない。という言葉が明にはあるそうだが、それは逆だ。良い鉄こそ釘になるようにすべきなのだ」
「しかし、兵は人を殺す者、人を殺すのに心を痛める者では良い兵にならないのでは?」
「それは逆だ。兵は人を守る為に存在するのだ。人を守ろうとする良い人こそが兵に成るべきで、人を殺すのに心を痛めないような人が兵に成るべきではない」
「確かに、そういった側面がありますね」
「それから、兵、軍隊は何のためにある」
「皇帝を守るためでは」
「それは違う。兵、軍隊は国を守るためにある」
「国と皇帝は同じモノでは」
「国と皇帝は違うものだ。国とは民や土地によって成り立つモノだ。それに世界を見渡せば、北米共和国のように皇帝、君主のいない国もあるのだ」
「そんな国があるのですか」
「そうだ。広い世界を知らないと、色々と間違うことになる」
「確かにそうですね」
そんな問答を立花宗茂らと明の将帥は交わした。
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