第85章―7
「そんな風に家族が分かれるとは。そして、双方の国で栄達するとは、正に諸葛家のようですな」
「いやいや、我が家等はまだ緩い。上里家の方が遥かに凄い。細かいことを言えば、血の繋がりは薄いのですが、上里松一の最初の子の上里美子は日本の宮中女官長(尚侍)を長年に亘って務める一方、二番目の子の勝利はローマ帝国の大宰相の印綬を帯びました。そして、三番目の子の和子は武田義信と結婚し、信光の実母となり、北米共和国で暮らしています。父に因れば、北米共和国の独立を主導したのは、私の伯父の義信よりも、その妻の和子だとか。そんな感じで上里家は三国に分かれて、それぞれで名士になりました」
袁崇煥と武田信勝は会話を続けた。
「更に言えば、上里松一の6番目の子になる上里清は陸軍の軍人として栄達し、北米との戦争でも出征して父と肩を並べて戦いました。そして、清の娘になる美子は、(義理の)伯母と同様に日本の宮中女官長を務めています」
「それはまた、凄い一族ですな。そのように他国に仕える者が身内にいるのに、その一族の者が宮中女官長を務められるとは。それにしても、上里家は女性が活躍する一族のようですな」
信勝の語る上里家の歴史は、袁崇煥を感嘆させた。
「あくまでも私の知って詳細を語れる範囲ですが、そんな感じで、日本人は世界に広がっていて、それぞれの住む国に忠誠を誓う余り、家族が分かれてしまった例まで、それなりにあるのです。そういったことを考える程、本人が罪を犯したからといって、それに関係のない家族にまで罪を及ぼすのはおかしいのでは。そして、世界の多くの国でそういったことから、刑罰は本人にのみ科せられるモノで、家族にまで刑罰が及ぶ連座ということは、基本的になくなっています」
「確かに」
信勝の言葉に、袁崇煥は肯きながら言わざるを得なかった。
それまで、三族族滅と言う言葉があるように、本人が重罪を犯せば、家族にまで累が及んで連座をさせられるのが当然、と袁崇煥は考えていた。
だが、武田家や上里家の事例を聞き、更に世界の多くの国ではそうではない、刑罰は本人にのみ科せられるのが当然なのを教えられ、無関係な家族にまで連座させられるのは問題だ、と考えるようになった。
他にも、信勝は袁崇煥に名言を贈った。
「将軍を務めた私の祖父(武田晴信)の口癖が、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」というものでした。どういう意味なのか、父(の勝頼)が尋ねたところ、自分で意味を考えろ、と韜晦されたとか。父に因れば、色々な意味に自分には取れる。お前も考えろ、と父から教えられ、今でもどういう意味か、考えることがあります」
「確かに、色々な意味に取れますな」
袁崇煥はそう答えた後、考えを巡らせた。
後半部は、まだ意味が取りやすい。
人は、情けをかければ味方になるが、恨みを持たれれば敵になる。
そして、部下を力で抑えつければ部下は離れていき、敵になることもあるが、逆に部下に情けを掛ければ、部下は味方になる。
そういった意味だろう。
前半部は、軍人としてだけ考えても、確かに色々と意味が取れる。
幾ら名城を築いても、人、兵が居なければ城にはならない。
又、石垣を造るには、色々な石を組み合わせる必要があるとか。
そのように人は色々と組み合わせる必要がある。
そして、人がいなければ、堀、人を守ることはできない。
一般的な世間に通じる話でもあるな。
人材を活用出来ねば、どんな組織でも潰れる。
それこそ我が明帝国が、そうではないのか。
気が付けば、宦官を筆頭とする汚職が蔓延ってボロボロになり、人が失われて、他国の後塵を拝してしまった。
袁崇煥は、そこまで考えてしまった。
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