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第85章―6

 そういった大規模工事を行うことで、流賊の一部は更生して、真面目に働くようになったが。

 だからといって、全ての流賊が更生する訳が無い。

 一度、流賊に堕ちた以上、流賊というよりも凶賊になって、殺人強盗がお手の物になる者までいる。


 そうなっては、明帝国政府としても軍を再編成し、こういった流賊を討伐する任務を行わざるを得なかった。

 そう、1621年現在、明帝国軍の最大の任務は、明帝国内の治安維持任務だった。


 何しろ、長年に亘って明帝国を苦しめて来た「北虜南倭」は、1615年の日明戦争で事実上は完全に終わっていたのだ。

 そうした現実から、更に明帝国内の荒廃によって発生した流賊等を討伐するのが急務であることから、明帝国は軍を再編成して、帝国内の治安維持を第一任務にする事態が起きたのだ。

 袁崇煥は、内心では忸怩たる想いが浮かばないことも無かったが、日本軍の指導の下で、明帝国軍の再編制に尽力して、治安維持に懸命に当たることになっていた。


 最も袁崇煥は幸いと言えば幸いなことに、日本から派遣された二人の良将に師事することができた。

 一人は立花宗茂であり、もう一人は武田信勝だった。

 勿論、袁崇煥とて、この二人が日明戦争で師団長を務めた人材であることを知った際には、何とも複雑な想いが浮かばなかった、といえば嘘になる。


 だが、二人ともに親子二代、武田信勝に至っては親子三代に亘る良将というのを袁崇煥は知った。

(細かいことを言えば、立花宗茂は戸次鑑連(立花道雪)の婿養子になるのだが)

 そして、細川忠興らとは異なり、この二人は日明戦争時に出来る限りは民間人保護に努めたことまで、袁崇煥は知ったことから、袁崇煥は彼らに対する態度を改めて師事することにしたのだ。


 特に袁崇感が好影響を受けたのが、武田信勝だった。

「我が(武田)家は色々とありましてな。日本の激しい歴史の流れに翻弄されました」

「そうなのですか」

「何処まで上手く説明できるか分かりませんが。私の祖父まで我が家は、甲斐という土地を代々治める領主でしたが、「皇軍来訪」ということが起きた結果、祖父は領主の地位を弟(信繁)に譲ることになり、日本の軍人になりました。そして、それもあって父は最初の妻(三条氏)と離婚して、別の女性(諏訪姫)と再婚したのです。最初の妻から生まれた、私からすれば伯父になる義信は、一度は祖父の弟の養子になりましたが、実子(信豊)が祖父の弟に産まれたことから、実子に後を継がせたい祖父の弟の思惑もあって、北米に伯父は向かったのです」

 信勝は、我が家の歴史を語っていった。


「北米に向かった伯父の前には新天地が広がっていました。甲斐やその周囲の者達にしてみれば、一攫千金の好機で、伯父と共に開拓に勤しみましたが、とても人手が足りず、多くの人を年季奉公人として世界から呼び寄せることになりました。それが日本本国の方針と合わなくなり、伯父は北米にいる仲間達と叛乱を起こして、独立戦争をする事態となりました。そのとき、既に祖父は死んでいて、父は、もし祖父が生きていれば、伯父は実父の説得を聞いて、叛乱を起こさなかっただろう、と未だに悔いています。ですが、取り返しがつかず、伯父と父は戦場で相まみえて、実際に銃火を浴びせ合う事態にまでなりました」

「そんな悲劇が。三国志の諸葛兄弟のようですね。いや、諸葛兄弟の方が、まだマシかも」

 信勝の話に、袁崇煥は驚くしか無かった。


「そして、北米の日本の植民地は独立して、北米共和国という国を建てました。私からすれば、従兄になる武田信光は、北米共和国の大統領を務めました。そして、父は日本の陸軍大臣にまで栄達したのです」

 信勝は語った。

 言わずもがなかもしれませんが、武田信勝の父は武田勝頼、祖父は武田晴信(信玄)です。

 尚、感想欄の指摘を受けて、文章を書き直しました。


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[良い点]  日明戦争で強硬派と穏健派が併立していたからこそ明の叛意を煽らずにすむ軍事顧問が得られていた事に派遣軍を穏健に教導していた退役後藤中将に感謝(全員オラオラ!な昭和の関東軍ノリではこうは行か…
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