第84章―25
そんな会話が、今上(後水尾天皇)陛下と鷹司(上里)美子の間で交わされたのと相前後して、伊達政宗首相と宇喜多秀家副首相の間でも、この改憲問題についての総括的な会話が交わされていた。
「何とも言えないな。改憲に成功したのは良かったが、最初から最後まで従妹(の鷹司(上里)美子)に踊らされた末の気がしてならない」
「改憲に成功して、「衆議院の優越」が明文で明らかになった以上、良かったとしましょう」
伊達首相の愚痴に、宇喜多副首相は慰めるような言葉を掛けるしか無かった。
だが、その一方で、宇喜多副首相も考えざるを得なかった。
本当にこの改憲の最初から最後まで、鷹司(上里)美子に踊らされたような気が自分もする。
とはいえ、改憲に成功した以上は、これ以上のことを望んではなるまい。
実際、自分としても首相選任権等、不満が皆無とは言い難い結果に、この改憲騒動がなったのが事実としか言いようがない。
だが、実際に鷹司(上里)美子が動いてくれねば、貴族院議員の殆どが、改憲絶対反対をこれまでと同様に貫く事態が起きただろう。
だから、そうしたことを考えれば、この結果は甘受せざるを得ないだろう。
そう宇喜多副首相が考えていると、余りにも改憲問題の現実を考えていては、気が滅入る一方になると気持ちを切り替えたのだろう、伊達首相は他のことを語り出した。
「明というか、中国本土の問題だが、どんな現況になりつつあるかな。自分も把握してはいるが、副首相と改めて認識が一致しているか否か、確認したい」
「確かに自分もそう考えていました」
宇喜多副首相は、伊達首相の言葉に寄り添うような言葉を発した。
実際問題として、1615年に行われた日明戦争の結果、明帝国は大幅な国内改革というよりも革命を遂行しないといけない状況に陥っている。
更に、その明帝国の行動を、日本のみならず、後金やモンゴルも支援する現状がある。
何しろ、日明戦争以前の暴政によって、明帝国は崩壊寸前になっていたからだ。
更に言えば、明帝国が崩壊しては、その結果として数百万人、下手をすると一千万人を超える難民が明帝国外に溢れ出るのでは、と危惧される事態が、日明戦争勃発直前には起きていたのだ。
そうしたことから、日本(及び後金、モンゴル)は対明帝国戦争を決断せざるを得なかった。
酷い話と言えば、酷い話だが。
予防戦争を行うことで、明帝国の崩壊を阻止して、大量の難民流出を阻止しようと日本とその同盟国は動く事態が引き起こされたのだ。
(後、ローマ帝国の脅威も、この戦争の裏ではあった。
ローマ帝国の使嗾によって、明帝国が崩壊しかねない、と日本政府等は警戒したのだ)
そして、日明戦争の結果、明帝国は中華思想を放棄し、日本や後金、モンゴルと明は対等な外交関係を締結することになったのだ。
(とはいえ、これまでの様々なしがらみ等から、国同士は対等と謳いつつ、君主間では、日本を長兄として、後金、モンゴル、明、琉球を末弟とする東アジアの関係が築かれることになった。
尚、李氏朝鮮は、それ以前の対後金戦争の結果、後金の属国にほぼ転落していた)
だが、これまでの数千年に及ぶと言える中華思想が、そう簡単に放棄できるモノではなかった。
それに加えて、崩壊寸前だった明帝国を再建するのも、多大な苦労が強いられるのも当然だった。
こうしたことから、日本政府等は、明帝国の再建に多大な苦労をする事態が起きていたのだ。
だが、全く希望が無い訳では無かった。
「泰昌帝は、それなり以上に有能なようだな」
「宦官を処分して後宮を整理し、明帝国の財政を改善しました。その為に官僚の質等が向上しつつあります」
伊達首相と宇喜多副首相は会話した。
これで第84章を終えて、次話から明帝国の現状等を描く第85章になります。
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