第84章―22
ともかく1613年に土屋長安首相が急死したのは、様々な波紋を生じさせた。
この辺り、それこそ後世の歴史家の間でも、見解が微妙に分かれる事態なのだが。
土屋首相が急死したことから、土屋首相に対する様々な政治献金に関する疑惑が、北米共和国内で噴出することになったのだ。
実際、徳川家よりの歴史家でさえ、土屋首相が急死しなければ、様々な処理によって政治献金全てが合法で済んだのでは、という声がそれなりにある現実がある。
だが、土屋首相が急死したために、死人に口無し、という事態に陥ってしまい、土屋首相への政治献金全てが違法行為ではないか、という大疑獄事件に発展してしまった。
更には、こういった大疑獄事件を背景にして、徳川秀忠大統領やその周囲は、
「やはり、議院内閣制はダメだ。大統領を中心とする独立した行政権を確立すべきだ」
という大キャンペーンを行うことで、憲法改正を行うことになったのだ。
この大キャンペーンについては、実は徳川家康元大統領でさえ、
「流石にそこまでは言うべきでない」
と息子の秀忠に苦言を呈することになったのだが。
ともかく土屋首相の急死から、それから派生した大疑獄事件の為に、北米共和国の国民の大半が、
「議院内閣制は良くない。大統領を中心とする行政権を確立するための憲法改正を行うべきだ」
という事態が起きてしまった。
その為に、北米共和国は最終的には憲法改正を行い、議院内閣制を廃止して、大統領が、それこそ内政、軍事、外交といった行政権を集中して握る政治体制を1621年時点では確立することになった。
北米共和国は、そうしたことから首相職が廃止される事態が起きたのだ。
(更に言えば、大統領が国務長官等を任命するようになり、国会は基本的に介入できなくなった)
1621年現在、北米共和国では、徳川秀忠大統領が、行政権のほぼ全てを握る事態が起きていた。
そして、それは現状では上手くいっていた。
だが、その一方で。
北米共和国の領土は、それなりに広大だった。
何しろ現実世界で言えば、(太平洋沿岸の三州を除いた)アメリカ合衆国とカナダを併せた北米大陸の領土を保有しているのだ。
そして、人口や面積といった様々な要素を考え合わせた末に、植民地の開発等に合わせて、州の分割や統合等を法律で行った。
更に州には自治を保障し、人口に応じた議員を選出する下院と各州の代表者を選出する上院の二つから、国会を構成することで、国内の意見を調整する事態が起きていた。
尚、北米共和国は、流石に日本(本国及び植民地)やローマ帝国よりも国土は狭いと言えるが。
そうは言っても、北米大陸の大半を占める超大国である。
その為に各州の実情は様々で、人口の割に面積が小さい州や、逆に面積の割に人口が小さい州がある。
そういった事情から、1621年現在、北米共和国は60州として編成されていたが、単純に人口比例で国会議員を各州に分配すると、下院議員600人は各州に10人ずつということになる筈が、人口が最大の州では30人いるのに対して、逆に最小の州では4人しかいない、という事態が生じていた。
こういった事情から、州の再編成を求める声が、北米共和国内ではそれなりにあったが。
その一方で、州が成立するには、それなりどころではない事情があったのも事実だった。
だから、そういった事情を重んじるべきだ、との声もそれなりではなくある現実があった。
そうしたことから、州の再編成は、容易に行われることではなかったのだ。
そして、そういった様々な事情や経緯を受けた上で、北米共和国の国制は今に至っていた。
それなりには安定していると言えば言えるが、完全には安定していなかったのだ。
これで、日本国外の話は終わり、次話からは日本国内が舞台になります。
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