第84章―19
最初は欧州やアジア各国の動きも、それなりに描く予定でしたが。
それをやると、トンデモナイことになりそうで。
フランスのみを基本的に描くことにしました。
そんな会話がローマ帝国内で交わされていたのと相前後して、欧州やアジア諸国でも日本の改憲のニュースは大きな驚きをもって多くの国民に受け止められ、更に各国政府上層部に大きな衝撃を与えていた。
例えば、フランス王国では。
「日本では憲法の明文において、衆議院の優越を認めたとのこと。我が国も何れはそうなるだろうか」
「仰せの通りかと」
「ふむ。それは何時頃になるだろうか」
「私の予測では、1650年頃になると考えます」
「後、30年程しかないぞ」
「30年もある、と考えましょう。下手に急いでは、それこそ革命騒動が起きます」
アンリ4世と閣僚の一員にまで出世していたリシュリューは会話を交わしていた。
「朕も考えてみれば70歳近いが、王太子のルイ(13世)は、ようやく20歳になったばかりだ。恐らく息子の代に、元の第三部会が国政を担うようになるのか」
「仰せの通りですが、それは漸進的に進めることになるでしょう。まずは、庶民院の議員の選挙権と被選挙権を徐々に拡大します。20年程掛けて、完全普通選挙を我が国にも導入します。そして、それが10年程も定着した後、庶民院の優越を認める憲法改正を行うことになるでしょう」
「まるで、それが既定のことのように言うな」
「勿論、これは私の予測ですが。最終的にはそうしていかねば、国民が徐々に不満を高めていくことになります。今ならば、その不満が平和な行動で収まっていますが、平和な行動では収まらなくなってからでは、それこそ叛乱、革命騒動になってしまいます。過激になってしまい、国王でさえも死刑にするやも」
二人の会話は進んだ。
「閣僚の一員にも関わらず、物騒なことを」
「そうは言われましても、モスクワの大地で何が起きました。エウドキヤ女帝は、容赦なく僭称者のボリス・ゴドゥノフの首を刎ねて、遺体を火葬にして、遺灰を川に流すということを行い、他にも多くの貴族や聖職者が同様の目に遭いました。更に、それを多くの庶民は傍観しました。あれは戦争でなったことですが、叛乱や革命で同じことが起きてもおかしくない。そう日本に留学した経験のある私の教官は、私に対して指導しました」
「そうなのか」
「国民の怒りは、時として本当に過激化します。それこそ日本の隣国といえる中国の大地では、国民の叛乱からの王朝交代が何度も起こっており、その際には時の国王が処刑されたとか。同じことが、他の国では決して起きない、と誰が言える、とまで教官は私に指導し、私も教官の言う通りだと考えました」
アンリ4世からの事実所の下問に、リシュリューは淡々と答えた。
(この辺り、細かいことを言えば、説明が間違っている、という指摘が大量に起きそうですが。
この世界の日本で市民革命等について、政治学で説明するとなると。
この世界では中国の王朝末期の叛乱を、革命の歴史的事例として使うしかないのです。
何しろ、それこそフランス大革命どころか、清教徒革命すら起きる前の時代なのです)
「国民からの叛乱、革命が起きないように、漸進的に国民の権利を認めていくしかないというのか」
「私はそう考えますし、多くの者が賛同するでしょう。それに日本や日系諸国からの様々な技術等の導入は、国民の生活を大きく変えています。そういった流れも、国民の権利意識を高めるでしょう」
「そうか、そうなるか」
そんな感じで、アンリ4世とリシュリューの会話は終わった。
似たような会話が、他の欧州やアジア諸国の多くの政府上層部で交わされることになった。
日本が衆議院の優越を認めた、ということは、それだけ多くの各国政府上層部に大きな衝撃を与え、又、各国の国民の意識を高めることにもなっていった。
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