第84章―16
少し背景説明をする。
ローマ帝国を統治するエウドキヤ女帝は、ロシア帝国(モスクワ大公国)のイヴァン4世の末の皇女であり、(東)ローマ帝国の最後の皇帝からの帝位継承権を受け継いでいる女性でもあった。
そして、1571年に当時はオスマン帝国の属国だったエジプトに亡命した(誘拐された)後、エジプトの支援によってローマ帝国を復興させて、かつての帝国最盛期を上回る、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの三大陸にまたがる大帝国にまで帝国の領土を拡張したのだ。
そして、それは1585年から始まったことであり、まだ30年余りしか時が経過しておらず、帝国内の住民の間では、自分達はローマ帝国の住民なのだ、という意識はまだまだ乏しいといって良かった。
更に言えば、これだけ広大な領土でもあった。
帝国の住民の民族は多種多様であり、帝国全体の公用語として、ラテン語、ギリシャ語、日本語の3つが公式に定められる一方、地域公用語として多くの言語、ロシア語、ウクライナ語、アラビア語等々が、それぞれの地域で認められている現実があった。
その為に文字にしても、ラテン文字、キリル文字、ギリシャ文字、アラビア文字等に加えて、日本語の漢字や仮名文字までも、帝国内では存在する有様に陥っていた。
宗教にしても、東方正教が事実上の国教扱いを受けてはいたが、そうは言っても、カトリック信徒やイスラム教の信徒、ユダヤ人等、それ以外の宗教の信徒も帝国内にはそれなりどころではなく住んでいて、そういった点でも、帝国の統合は困難を極めるモノだったのだ。
こうした点で、日本よりも領土が狭いにも関わらず、ローマ帝国は国の統一に困難を覚えていた。
勿論、日本の領土内でも、特に植民地、自治領においては、少数民族、原住民が住んでいる。
だが、どうのこうの言っても、日本人(日系人)が、日本本国どころか、日本の植民地でも圧倒的多数であり、原住民の方が積極的に日本語を学ぶ等、基本的に同化していこうとする傾向にあった。
だが、ローマ帝国は上記の事情から、どちらかというと遠心的に国自体が成りかねなかった。
そして、それが進めば、帝国の分裂、崩壊という事態まで引き起こされてしまう。
そのためにエウドキヤ女帝としては、皇帝、帝室を帝国統合の象徴とする必要を覚えていた。
こういった象徴が無くなれば、帝国はあっという間に分裂、崩壊するだろう。
そこまで、エウドキヤ女帝及びその周囲は考えていた。
更に皮肉なことがあった。
広大な帝国領が、そういった民族、宗教の不統一にも関わらず、エウドキヤ女帝の下で統治が可能なのは、それこそ様々な技術進歩が背景にあった。
例えば、帝国の何処かで問題が起きれば、速やかに無線、有線の通信網で中央政府に連絡が為され、更に中央政府はそれに、通信網で連絡を送って対処ができるようになっていた。
だが、これはある意味ではコインの裏表であり、そういった技術進歩は、思想等を広げるのにも極めて役立つことで、日本や北米共和国等の放送は、ローマ帝国内の民衆の権利意識を徐々に高めてもいた。
そういった権利意識を、ある程度は尊重しないと、帝国の住民の間で不満が高まり、場合によっては叛乱、革命にまで至りかねない。
エウドキヤ女帝は、当初はそういった危惧とは全く無縁だったが、日本の憲法制定事情や北米共和国独立戦争等を徐々に見聞きし、知識や考えを進めた結果、帝国でも立憲主義を受け入れる必要がある、と考えるようになっていた。
だが、その一方で、下手に立憲主義を導入しては、帝国の分裂、崩壊につながるともエウドキヤ女帝は考えており、自分が崩御した後で立憲主義を導入すべき、と考えていたのだ。
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