第84章―15
正直に言って悩んだのですが、大日本帝国憲法改正の余波について、まずは日本国外に与えた影響から描くことにしました。
この大日本帝国憲法改正の影響だが。
実は日本国内よりも、日本国外に与えた衝撃の方が、実は大きかった。
何故ならば、それこそ「衆議院の優越」を認める改憲というのは、大日本帝国憲法制定直後から、日本国内においては伏流水のように続いていた流れであり、ようやく改憲が果たされたのだ、という想いを多くの日本の国民がしたからだ。
それに対して、日本(及び北米共和国)以外の多くの世界の国々では、ようやく立憲主義というのを国民というよりも、為政者(国王や貴族等)が徐々に理解しつつあると言っても、この世界は過言ではない状況にあるのだ。
だから、明文の憲法によって国民の人権、権利を守るという考えが、まだまだ世界中に完全に広まっているとは言い難いのが現実だった。
その為に欧州やアジア諸国では、取りあえずは大日本帝国憲法と類似した元老院(貴族院)と衆議院を国会として造ろう、それを憲法に明記しようという段階の国が圧倒的多数といっても良かった。
そういった状況に世界はあるのに、日本では完全普通選挙が行われる衆議院が貴族院よりも優越する、という憲法改正を果たした。
ちなみに、この当時の日本と北米共和国以外では、日本で言えば衆議院に当たる国民から選出される国会については、完全普通選挙は実現されていなかった。
例えば、フランスは三部会を改正して、二院制の国会を設けてはいたが、日本で言えば衆議院議員の選挙権を持つ国民は人口の1%程に過ぎず、実際の有権者は高額納税者に限られているのが現実だった。
(これは元に成った三部会の第三部会が、そういった面々から選ばれていた以上は、ほぼ必然と言っても過言ではない事態だった)
他の諸国、イングランドやスペインといった欧州諸国、アジアで最も立憲主義を受容しているシャムといったアジア諸国等でも似たり寄ったりで、衆議院は存在せず、国王等が議員を指名する国会があるのみという国さえ珍しくない有様で、完全普通選挙とは程遠い国政選挙を行うことでお茶を濁している国ばかりと言っても過言では無かった。
そうした状況にある中で、日本が「衆議院の優越」を認める憲法の明文改正を果たしたのだ。
そして、そのことは、この世界では速やかに全世界に流れることになった。
何しろ史実で言えば西暦1970年前後にまで技術レベルが進んでいるのだ。
それなりの国では、国民の間で新聞や雑誌を購入するどころか、ラジオを持つのが当り前になり、日本や北米共和国、それ以外の国々でも中産階級ならば、テレビを保有しつつあるのだ。
(更に言えば、こういった状況にあることから、現実世界で言えば、ボイスオブアメリカに相当する国際国営放送を、この世界の日本政府は主要言語に合わせて行っている現実があった。
勿論、これに対抗するために、北米共和国やローマ帝国も似たような国際国営放送を行うようになっており、各国政府も国営放送局を設立して、国内外に対する放送を行っている現実があった。
こうしたことも相まって、日本の大日本帝国憲法改正成立が、世界に速やかに流れたのだ)
さて、まずはローマ帝国の近況を描くならば。
「やられたな。我が帝国も衆議院を何れは設けざるをえまい」
「真に賢明なご判断か、と」
「だが、それは朕の目が黒い内にする訳には行かぬ。まだまだ、我が国に民本主義は早過ぎる」
「そう考えられる理由は」
「我が帝国は、余りにも多様性に富んでいるからだ。皇帝、帝室が帝国統合の象徴に完全になるのは、朕が崩御した後だろう。それまでに衆議院の導入等、帝国が崩壊しかねない」
「仰せの通りでしょう」
エウドキヤ女帝は、何処か遠くを見つつ、藤堂高虎大宰相とやり取りをしていた。
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