第84章―14
ともかく清華家の花山院家や大炊小路家等が、改憲に前向きになった効果は大きかった。
これで貴族院を主導している公家の上層部は、改憲派が占めることになったからである。
既述だが、五摂家は改憲に前向きになっている。
それに続く七清華家の内情だが、まず久我家の当主は通前であり、鷹司(上里)美子の同級生の友人であり、美子からすれば(微妙に仲が悪いが)姪の聖子の婿である。
その為に久我家は改憲に既に賛成していた。
次の三条家だが、それこそ完全に政界の最長老(裏では九尾の狐呼ばわりされている)織田(三条)美子が首根っこを抑えているといってもよく、これ又、改憲に賛同していた。
次の西園寺家だが、時の当主の西園寺実益は、久我通前の父の従弟であり、花山院家の当主の定熈の実の兄弟でもある。
そうした縁があれば、西園寺家も改憲に前向きにならざるを得ない。
更に徳大寺家になると、例の(猪熊)事件をほぼ無傷で切り抜けたとはいえ、後ろめたい事態が起きていたのは間違いない。
猪熊教利の告発(放言)を、四方八方に様々な働きかけをすることで、かなり揉み消して貰い、何とか南極送りを免れての数年に亘る自宅謹慎で免れていたのだが。
それ故に却って、かつての乱行仲間が南極送りから帰ってこれるという話しが出ては。
帰ってこれるように動かない訳には行かなかったのだ。
(後、時の徳大寺家の当主の実久は、織田(三条)美子の元娘婿でもあった。
美子の娘、実久の妻は早世していて、猪熊事件の頃には既に故人の為に縁が薄れてはいたが、元義母の圧力までも改めてあっては。
徳大寺実久も改憲に賛同せざるを得なかった)
花山院家と大炊小路家の内情は既述の通りで、残る今出川(菊亭)家は、時の当主の経季が30歳前で頼りになる濃い身内として、真田信繁(経季からすれば父の従弟)中将しかいない有様だった。
そして、鷹司(上里)美子は実父の上里清の縁から真田信繁を説得し、更に経季を説得してしまった。
後の三大臣家は、正親町三条(嵯峨)家と三条西家は、三条家の分家なので、織田(三条)美子からの猛烈な圧力等があっては従わざるを得ない。
中院家は、そもそも当主の通村が、今上(後水尾天皇)陛下の寵臣だし、妹の中院局が南米から帰国できるかの瀬戸際である。
こうなっては、五摂家どころか、七清華家や三大臣家まで改憲に総同意する事態が起きてくる。
そして、ここまで公家社会の上層部が改憲に総同意してしまっては。
貴族院議員の殆どが白旗を掲げて、大日本帝国憲法改正に賛成投票せざるを得ないのも当然だった。
更に鷹司(上里)美子は、この大日本帝国憲法改憲案の投票について、賛否を後世にまで明らかにするため、と主張して、貴族院議員に対して記名投票を行わせたのだ。
ここに貴族院議員は、今上(後水尾天皇)陛下や五摂家、七清華家、三大臣家の総意に反する大日本帝国憲法改正反対投票をするのか、それとも総意に応じる賛成投票をするのか否かの事態に成った。
下手に棄権をしても、それはそれで、周囲に公然と自らの行動がバレてしまう。
そうした状況に陥ってまでも、尚、反対投票や棄権に踏み切る貴族院議員がいなかった訳ではないが。
殆どの貴族院議員が空気を読み、又、上層部からの圧力の前に、改憲賛成投票をせざるを得なくなるのも当然としか、言いようがない事態だった。
こうしたことから、日本の国内外からすれば、そんな事態が起きるとは、と多くの人々が驚愕することとなったが。
1621年6月、伊達首相から今上陛下によって提起された大日本帝国憲法改正は、衆議院も貴族院も共に総議員がほぼ賛同しての賛成多数で可決され、憲法改正が果たされたのだ。
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