第84章―13
実際、大日本帝国憲法の改正案に賛成投票をすれば、猪熊事件の当事者に恩赦が与えられる、との四辻与津子が流した情報の効果は絶大だった。
それならば、家族に恩赦が与えられるようにしよう、と清華家の徳大寺家や花山院家、大炊小路家が周囲に働きかけるようになったからだ。
他にも大臣家の中院家や名家の広橋家等も動くことになる。
鷹司(上里)美子の与津子への働きかけは、(流石に表には出なかったが裏では)絶大な効果を挙げて、貴族院内の改憲反対派の声を鎮めることになった。
だが、これにはそれなりの裏があった。
美子は磐子にボヤくように陰ではやり取りをせざるを得なかった。
「本当に何で、例の(猪熊)事件が南極大陸を日本の植民地にしようとする深謀遠慮が裏にある、という話しになっているの」
「大方、ローマ帝国や北米共和国のそれなりの筋が動いている、と(「天皇の忍び」は)睨んでいて。それなりのところの情報を当たったところ、まず間違いないと我々は考えています」
「本当に南極送りの際に、男は完全去勢した方が良かったかしら」
「物騒なことを言われますな」
美子の言葉に、流石の磐子も引いた言葉を発せざるを得なかったが。
美子もぼやきたくなる事情があり、磐子もそれを承知していた。
猪熊事件で多くが男は南極送り、女は出家の上で南米送りになっているが。
これは細かく言えば、刑罰ではなくて、私的制裁である。
(少なからず形が違う話だが、例えば、不倫、姦通をした娘を、親が尼にして寺に押し込めるのと似たようなモノである)
時の今上(後陽成天皇)陛下の指示で、それぞれの家の家長が、家族を南極や南米に送ったのだ。
そして、南米に送られた女性はともかく、南極に送られた男性だが、それぞれの家の配慮から、身の回りの世話をする女性も、それなりに付き添うことになった。
何しろ刑罰ではなく、私的制裁なのだ。
色々と不自由なこともあるだろう、とそれぞれの家から女性を付き添わせる例が多発した。
更に言えば、それこそ宮中女官に手を出すような強者が、南極に送られたからといって、完全に大人しくなる訳が無く。
表向きは謹慎生活を送りつつ、裏では付き添ってきた女性とよろしくやる例が多発した。
中には、共に南極に赴いてきた男性に付き添っている女性に対して、手を出す剛の者まで出た。
そして、そんなことがあれば、男女の仲である以上、子どもが生まれるのもほぼ必然だった。
(後、南極という場所が場所である。
それこそ無聊を慰めるために、こういった関係に溺れる事態が多発したのだ)
そんなこんなから、猪熊事件から10年余りが経つ間に、数名どころか、数十名単位(といっても、30名もいないが)の子どもが、南極で生まれる事態が起きてしまった。
更にこのことに北米共和国やローマ帝国等は難癖を付けてきた。
(この世界でも)南極大陸は、何処の国の領土でもないという建前になっており、それを日本も調印している多国間条約が保障している。
だが、日本がそんな感じで南極で子どもを作っているのは、南極大陸を日本の植民地と主張するための既成事実を造るためではないか、との難癖が付けられたのだ。
日本政府は心外な話だ、南極大陸を植民地にするつもりはない、と反論したが、そうは言っても、数十名単位の子どもが生まれているという事実は重い。
そんなことから、猪熊事件で南極に送られている男性を日本に帰すべきだ、との話が出たが。
そうは言っても、彼らが南極送りになった事情が事情である。
そう言った事情から、それなりの理屈と見返りを求めることになり。
美子は与津子に対し、南極送り等の面々を帰国させたかったら、と働きかけることになったのだ。




