第84章―2
そういった背景があることからすれば、伊達政宗首相が、今上(後水尾天皇)陛下に対して、大日本帝国憲法改正を訴えたのも、ある意味では時機を得たものと言えることだった。
そして、今上陛下にしても、衆議院の優越を認める大日本帝国憲法改正については、それこそ大日本帝国憲法制定から40年以上というよりも50年近くが経つ現在、決して忌避するものではなく、むしろ、鷹司(上里)美子尚侍と政治向きの話をする中で、望ましいことではないか、と考えるようになっていた。
(鷹司(上里)美子尚侍だが、既述のように血筋等の関係からそもそも労農党に考えが近い立場である。
何しろ織田信長元首相の義理の姪、二条昭実元首相の姪に美子は成るのだ。
だからこそ、逆説的に伊達首相は、今上陛下が美子を首相に指名した場合、労農党が分裂、崩壊するのではないか、と危惧せざるを得なかったのだ)
だから、現状では大日本帝国憲法改正規定に基づいて、(実際には首相の言葉に基づいて)今上陛下が大日本帝国憲法の改正を発議し、衆議院と貴族院、各議院の総議員の3分の2以上の賛成を得た上で、大日本帝国憲法の改正に乗り出すこと自体には問題が無い、と言えるのだが。
問題は衆議院の優越にしても、どの程度に認めるのか、という細部になると、それこそ改憲推進派の中心と言える労農党内部でも意見が割れる問題だった。
(これが改憲消極派というより、護憲派といえる貴族院議員の大半や保守党系の衆議院議員になれば、尚更に意見がまとまらない事態が引き起こされることになる)
実際に伊達政宗首相と鷹司(上里)美子尚侍の間でさえ、この件については意見が異なっていた。
伊達政宗首相にしてみれば、できる限りは衆議院の優越を認めたかった。
「予算や首相指名権、更には条約や法律制定にしても、衆議院に先議権を認めて、衆議院が可決した場合に、貴族院が否決しても、衆議院が過半数で再可決すれば、全てが通るようにしたい」
そこまで、腹心の部下といえる宇喜多秀家等に、伊達首相は言っている現状があった。
一方の鷹司(上里)美子尚侍は、そこまで衆議院の優越を認めることには否定的だった。
実際に美子は、伊達首相でさえも黙らざるを得ない実例を持ち出して、法律の先議権から、衆議院での過半数再可決で法律制定ということには、断固反対を主張した。
さて、その実例だが。
「日系植民地の多くが自治領になって、日本が連邦制の帝国に移行したきっかけとなったあの法案を、衆議院と貴族院、どちらが先に可決したでしょうか。そう貴族院です。もし、衆議院に先議権が認められていたら、あそこまで順調に法案化が為されたでしょうか。貴族院が先議して、更に満場一致で貴族院が法案を可決したからこそ、衆議院議員の多くが法案を可決させる必要があると認めて、党議拘束を外して、自らの良心に基づいた投票をすることで、衆議院を法案は通過して、法律化に成功したのでは。そういった実例がある以上、法律の先議権を衆議院に認めて、更に貴族院で否決されても、衆議院議員の過半数で再可決すれば法律に成ること等、断じて認められるモノではありません」
美子は、長広舌を振るって、貴族院議員を説得することとなった。
それによって、殆どの貴族院議員が、美子の主張に賛同する事態が引き起こされた。
美子の主張は、貴族院議員の殆どにしてみれば、自らの自尊心を高めるモノであり、極めて耳触りの良い主張だったからである。
とはいえ、美子と言えども、生来から言えば、衆議院の優越をそれなりに認めても良い、と考えている現実がある。
こうしたことから、大日本帝国憲法改正には総論賛成という事態が起きたのだ。
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