第83章―9
さて、どうしても話が行きつ、戻りつすることになるが。
九条完子と皇后陛下の千江が、実父である徳川秀忠北米共和国大統領に対して、夫を失った鷹司(上里)美子が出家しようとしていること、更に尼にはなるものの、日本の首相になるやも、と言う手紙を送ったことは、北米共和国政府の最上層部に激震を奔らせた。
「不味いぞ。大いに不味い」
徳川秀忠は腹心の部下である大久保忠隣に零していた。
「確かに」
忠隣も秀忠の言葉に同意せざるを得ない。
秀忠も忠隣も、鷹司(上里)美子には名宰相の素質があるのを認めざるを得ないのだ。
しかも、美子はまだ30歳の若さなのだ。
その気になれば、それこそ何十年も日本の政治の舵取りができるだろう。
「認めたくはないが、我が北米共和国内に鷹司(上里)美子に太刀打ちできる政治家がいるか」
「誠に申し上げにくいことながら、どうにも」
「国力が上で、更に鷹司(上里)美子が名宰相として日本の国政を動かしては、日本に数十年もすれば、我が国は完全に頭を下げざるを得なくなる気がしてならぬぞ」
「身内に対して、冷たい物言いですな。仮にも跡取り息子の妻の義姉に当たられる方ですぞ」
「こうしたことに私情を差し挟む訳には行かぬ」
二人はやり取りを続けた。
秀忠の跡取り息子の徳川家光だが、1618年に二つ年上になる鷹司孝子(信尚の同父母妹)を正妻として迎えているのだ。
これは家格や、日本と北米共和国の和親を進めることから考えられ、実行された政略結婚だった。
京育ちの孝子は、微妙に北米共和国の風土に馴染めず、更に家光との仲も未だに微妙なのだが。
鷹司(上里)美子や九条完子が夫婦の間を取り持つことで、更に年に何度か、京の実家に孝子が帰省することで、少なくとも表面上は和合した夫婦仲を続けている。
だが、こうしたことも、今や秀忠の危惧を高める事態を引き起こしている。
「あの美子だぞ、下手をすると千江や完子のみならず、家光さえも操り人形のようにするという危険を覚えてならぬ。何しろ千江の縁談をまとめたのは、僅か19歳の時だ。しかも、ローマ帝国のエウドキヤ女帝が癇癪を爆発させていたのに、正面から対処した末にだぞ」
「栴檀は双葉より芳し、とはよく言ったものですな」
「第三者ならば、それで済むが、国政のこととなると、それで済ませる訳には行かぬ」
「確かにその通りです」
二人のやり取りは、更に続いた。
「それならば、娘を不幸にしますか。娘婿に別の女性を勧めて、重婚話を進行させますか」
「それも我が国のことを第一に考えれば、止むを得ないことかもしれぬ。娘も承諾しているようだし。最も激情の余りに言った気がしてならぬが」
忠隣と秀忠は禅問答のようなやり取りをした。
そう完子と千江は、美子を中宮として今上(後水尾天皇)陛下に入内させてはどうか、という話も秀忠に持ち込んでいたのだ。
確かにそうなれば、美子は首相に成れなくなる。
だが、それは秀忠にしてみれば、娘婿になる今上陛下に別の女性との重婚を勧めることになるのだ。
更に問題がある。
「妻の小督に対して、儂が美子の入内話を進めた件は、何としても秘密を保つ必要があるぞ」
秀忠は思わず声を潜めて言い、忠隣は無言で肯いた。
唯でさえ、男女関係には煩い小督である。
夫が娘婿に重婚を勧めるようなことをした、ということが小督の耳に入ったら。
どんな大騒動が起きるか、分かったモノではない。
そもそも千江の結婚を持ち込んだ際に、美子に愛人疑惑を掛けたのが小督である。
それから10年余り後に、その疑惑の女性と娘婿が重婚することを夫が進めたのがバレたら。
本当に小督は何をしでかすか。
恐怖の余り、二人は共に背中が冷たくなってしまった。
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