プロローグ―5
さて、そんなことを鷹司美子や伊達政宗首相らが考えている前後、今上(後水尾天皇)陛下御自身も、自らの考えに耽られていた。
今上陛下としては、美子を首相にするつもりなど、実はさらさらない。
もし、1622年の衆議院総選挙で、労農党が勝利を収めた場合、素直に伊達政宗を首相として指名するつもりである。
更に言えば、保守党の上杉景勝党首や中国保守党の毛利輝元党首に、鷹司美子首相案の打診も実は全くしていない。
それならば、何故に伊達首相に、鷹司美子を首相に指名したい、と言ったのか。
そう言えば、鷹司信尚が薨去した後、鷹司美子を中宮にしよう、と伊達首相やその周囲が速やかに動く、と考えたからに他ならない。
今上陛下としては、鷹司信尚が薨去した後、少しでも早く美子を中宮に迎えたい。
何しろ美子は30歳になるのだ。
(この世界の常識から言えば)既に高齢出産を危惧される年齢に達している。
だから、中宮に速やかに美子を迎えて、皇子を産んでほしいのだ。
だが、世論というものがある。
鷹司信尚が薨去した後、すぐに自らが美子を中宮に迎えたいと言っては、夫が亡くなったばかりの女性と結婚したいとは何事か、という批判が起きかねない。
だから、ワンクッションを置いて、周囲が自らと美子の結婚を推進した、という形で美子を中宮に迎えよう、と今上陛下は考えて、伊達首相を煽ったのだ。
実際、伊達首相は完全に泡を食ったようで、貴族院の権限縮小の話を急に振って来た。
貴族院の権限を縮小することで、鷹司美子の力の基盤を急に削ごうとは。
もう少し伊達首相は知恵が回る、と自分は考えていたのだが。
悪いことでは無いので、進めても良いだろうが。
今上陛下は、そこまで考えを進める一方で、皇后の千江との間の御子二人のことも考えた。
最初の子こそ死産だったが、その後、皇太子と文子内親王と二人の子が続けて産まれてはいる。
そして、文子内親王はすくすくと問題無く育っているのだが、問題は皇太子だ。
皇太子は、A型の血液型を持って産まれてきたものの、ABO型不適合による軽い黄疸が、出生直後に出た程度で済んだのは幸いだったのだが。
この件は、皇后が皇太子を過保護にする一因となった。
それこそ、美子が尚侍の職務もあって、それとなく、この件を皇后に注意するのに対しては、完全に耳を塞いでいる。
それ故に美子は、皇后の実姉になる九条完子を動かして、皇后を注意して貰ったのだが、実姉の言葉にさえ、皇后は拒絶反応を示す有様になっている。
「皇太子にもしものことがあったら、どうするのですか」
それが皇后の口癖だ。
自分もそれとなく皇后を注意するのだが、
「お腹を痛めた子どものことは、産みの親の私が最もよく分かります」
とまで言われては、自分としても匙を投げざるを得ない。
ともかく、あそこまで過保護に育てては、却って虚弱に育ってしまい、将来、今上陛下としての職務が務まらないのではないか、と自分としても心配になってくる。
実際、自分が鼻風邪を引いたら、すぐに皇太子に感染して、更に皇太子は高熱を出す有様と言っても過言では無いのだ。
美子に言わせれば、
「もう少し、外で遊ばせる等して、体を動かさないと、皇太子殿下は益々虚弱になります」
とのことで、完子もそれに同意する有様だ。
更に言えば、美子も完子も何人も子を産み育てた身であり、尚更に二人の言葉には説得力があるのに、皇后は耳を塞ぐ一方なのだ。
本当に美子を自らの中宮に迎え、第二皇子を産んで貰わないと、皇統が危機に陥るのではないか。
余りに考え過ぎだと自分でも考えるのだが、最近の皇后の言動や、皇太子の虚弱体質を考えると、本当に自分は不安を徐々に覚えざるを得ない。
これで、第15部のプロローグを終えて、次話から第15部の本編に入ります。
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