第82章―9
後水尾天皇陛下や千姫の血液型は不明の筈だ、というツッコミの嵐が起きそうですが。
違う歴史が流れていること等の影響から、ということで、どうか緩く見て下さい。
そんな健康診断を行った翌日、鷹司(上里)美子は尚侍として宮中に出勤していた。
今上(後水尾天皇)陛下は、美子が夫と共に健康診断に赴いたことを知っていたので、直に声を掛けて来た。
「どうであった。夫婦共に息災であったか」
「はい。尚、お産からも順調に回復しており、5人目を望めるとまで曲直瀬玄朔医師には言われました」
「それは重畳」
美子は、そうやり取りをしながら、改めて考えた。
本当に皇后陛下の千江様は、お気の毒なことになってしまった。
事前に私が知っていれば、とはいえ、そこまではあの時、19歳だった私は気が回らなかったのだ。
あの鷹狩りの後、兎の効果があったのか、皇后陛下も懐妊されたのだが。
結果的には死産だった。
その原因を調べたところ、ABO型不適合妊娠が一因やも、と医師団が診断したのだ。
千江の血液型はO型だった。
一方、今上(後水尾天皇)陛下の血液型はA型だった。
(ちなみに美子の血液型はAB型である)
その結果、胎児がA型の血液型の場合、ABO型不適合妊娠を千江は引き起こしてしまうのだ。
勿論、現実には、そういった血液型の夫婦は沢山いて、必ずしもABO型不適合妊娠による死産等が起きる訳ではなく、むしろ、そこにまでに至る夫婦の方が圧倒的に少ないだろう。
だが、千江と今上(後水尾天皇)陛下の場合は、初産でそうなったことから、余りにも強く印象付けられてしまったのだ。
(尚、この件だが、事実上のかん口令が厳重に敷かれており、流石に徳川家等には伝えられているが、宮中関係者の一部以外には知らされておらず、当然のことながら、いわゆる新聞沙汰にはなっていない。
それこそ死産でさえ、皇后陛下は一時的な体調不良になって静養された、という報道で世間は誤魔化されてしまっている)
とはいえ、それこそ確率論から言えば、千江がO型の子を妊娠する可能性は5割であり、その場合はABO型不適合妊娠は起こらないことになる。
だから、千江は今のところは強気な態度を表向きは崩さず、今度は元気な皇太子を出産したい、と夫や自分に対して言っているのだが。
美子の見るところ、更に今上(後水尾天皇)陛下から美子への内密の手紙で書かれているところによれば、千江は初産がこうなったことに酷い衝撃を受けているようだ。
もし、2回目の妊娠までが同じような結果になったら、、と千江は内心では怖れている。
本当に千江の2回目の妊娠、出産までがそうなってしまったら。
私と言えども、皇統存続の観点から、今上(後水尾天皇)陛下に宮中女官を勧めざるを得なくなる。
その為に一部の宮中女官はいる、と言っても過言ではないのだから。
更に美子が考えることがあった。
もし、千江が元気な男児をこのまま産めなかったら、更にもしものこと、夫が本当に1621年に薨去してしまったら、私は皇統存続の為にも、中宮にならざるを得ないかもしれない。
私の血液型からして、ABO型不適合妊娠の心配は絶無だし、更に夫との間に五体満足の子どもを4人も安産しているのだ。
私が経産婦であることに難色を示す者がいるかもしれないが。
今上(後水尾天皇)陛下が強い意向で、摂家の一つである九条家の娘である私、美子を中宮にしたい、朕には皇子が未だにいないが、美子はこれまでのことからして、元気な皇子を産んでくれるだろう、と言えば、誰が反対を貫けるだろうか。
反対を貫ける者がいる筈もない。
皇統存続というのは、それだけ重いことなのだから。
美子は、自分でも考えを先走りさせ過ぎた、と考えたが。
その一方で、千江が無事に皇子を産むことを、心から願わざるを得なかった。
美子はABO型不適合妊娠の危険を考えなかったことを後悔していた。
感想を読んだことから補足説明を。
ABO型不適合妊娠をしたからといって、死産に至ることはまずありません。
実際、私が調べる限り、死産の多くが原因不明のようです。
とはいえ、皇后陛下の死産を原因不明として済ませる訳にも行かず、ABO型不適合妊娠が一因やも、と医師団が診断したことから、話中のような事態が引き起こされました。
更に言えば、初産がそうなったことが、更に騒動を大きくする事態になっています。
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