第82章―8
医師の方々からすれば、おかしな描写があると考えますが。
どうか小説と言うことで、できる限りは緩く見て下さい。
そんな想いをしながら、年に一度の健康診断、(現実世界で言えば)人間ドックを、鷹司信尚と美子は受けることになった。
様々な精密検査を夫婦で受けて、更にその検査結果を、専門医から直に夫婦で聞くことになったが。
診断医を務める曲直瀬玄朔の顔色は微妙としか、言いようが無かった。
美子は不安を覚えた。
何か良くない結果が出たのだろうか。
そんな美子の想い、考えを無視して、玄朔は、二人に訊ねた。
「お二人共に、以前よりも脈が極めて遅くなっています。具体的に言えば、1分間の脈拍数が50以下にまで遅くなっています。脈、心臓という場所が場所だけに、医師としては、極めて気になってなりません。念のために聞きますが、何か毎日のように運動をされるようになりましたか」
その問いかけに、信尚が即答した。
「ほぼ毎日、40分程、約7キロ程、夫婦で走るようにしているが」
玄朔は更に訊ねた。
「どんな感じで、その7キロを走られますか」
「最初の20分で3キロを、残り20分で4キロを走っている。後から速度を上げた方が、運動効果が上がると聞いているからだが、何か不味いのか」
信尚は更に答えた。
「ふむ。それならば、運動効果によるものでしょう。洞性徐脈と言って、運動を熱心にされだすと、運動効果によって、脈が遅くなることが多い。先程の話からすれば、毎日7キロを40分程、走られている以上、運動効果がそれだけ上がっていてもおかしくないですな」
信尚の答えを聞いた玄朔は、少し考えた末に言った。
「ま、心臓という場所が場所ですが、二人共に同じ疾患になられる筈も無し、何か異変があれば、すぐに相談してください。二人共に、1年後も変わりが無ければ、ほぼ確実に洞性徐脈でしょう。あ、それから念のために言っておきますが、洞性徐脈は病気ではありませんから、単なる症状を指すモノです」
「そうですか」
信尚は玄朔の説明に得心した。
美子は、二人のやり取りを横で聞いて考えた。
二人共に同じ症状になるとは、本当に思わぬことになるモノだ。
そして、二人は玄朔の前を去って、お互いに健康体でいることにホッとすることになったが。
さしもの天下の名医といえる玄朔といえど、思わぬ見落としをしていた。
というか、この時点では(この世界の)医学が、そこまで進歩していなかった。
信尚の心電図だが、21世紀現在で言えば、ブルガダ症候群といわれる不整脈を呈していた。
この不整脈は、時として死に至る重篤な不整脈ではあるのだが、現実世界でブルガダ症候群として命名されて知られるようになったのは、1992年になってからのことであり、1960年代半ばといえるこの世界の様々な技術レベルでは、単なる不整脈の一つとして扱われていた。
(少なからずの余談を交えれば、20世紀まで、いわゆるポックリ病として知られていた若者を中心とする原因不明の突然死の原因の一つとして、現在ではブルガダ症候群はされている)
玄朔は、信尚の心電図に不整脈があるのまでは気づいたが、それよりも夫婦ともにある徐脈の方に気を取られてしまい、更にこの程度の不整脈ならば、大したことはあるまい、と(この世界の当時の)医学知識から、そう診断してしまったのだ。
そんなことを全く知らない美子は、
「本当に何事も無くて良かった」
「まだまだ、御子が望めますよ、と言われたね」
「とはいえ4人目、もう少し時間を空けてから、5人目を考えましょう」
と信尚とやり取りをしながら、帰宅したのだが。
美子は、改めて考えた。
玄朔医師でさえ、夫は全くの健康体だと診断する。
勿論、若いと急に病気が悪化すると言われるが、本当に夫は30歳で亡くなることになるのか。
このままでいて欲しい。
曲直瀬玄朔の説明、洞性徐脈は病気では無く単なる症状等、2024年現在からすれば、おかしな描写が幾つかありますが、鷹司信尚と美子夫妻を安心させるため、医学がそこまで進歩していないため等、どうか緩く見て下さい。
ご感想等をお待ちしています。




