第82章―3
ところどころの描写に、鷹狩りに詳しい人からツッコミの嵐が起きそうですが、緩いご指摘を平にお願いします。
そんな裏話まであるのだが。
この1615年頃の日本の上流階級が楽しむ鷹狩りにおいて用いられる鷹について、一番に人気が高いのが、満洲を原産地とする海東青と呼ばれるシロハヤブサだった。
鷹司信尚が最終的に妻の美子の宥めの言葉に従ったのも、ヌルハチから贈られてきた海東青の素晴らしさを認めざるを得なかった、という事情がある。
それこそ今上(後水尾天皇)陛下からも、鷹狩りを共に行った際に、ヌルハチから贈られてきた鷹司家の海東青を目にして、何としても自分のモノにしたい程だ、もしもの(信尚が薨去した)時は朕に譲れ、と冗談で言われては、信尚も今上陛下の冗談に合わせて、これは鷹司家のモノです、もしもの時があっても、皇室に献上は出来ません、と大袈裟に渡さない姿勢を示した程だ。
(尚、それを目の前で見せられた鷹司(上里)美子は、別の考えが浮かんでならなかった。
鷹司家の海東青とは、自分のことを暗に言っているのではないか。
今上陛下はギリギリの線で、私の夫の信尚が薨去後に私を中宮に迎えたい、と言ったのではないか。
そんな考えが美子には浮かんでならなかったのだ)
話を戻すと、(既述だが)海東青は、それこそ同じ重さの砂金と等価とされる程に、日本国内外では価値がある代物だった。
だから、それこそ海東青を何羽も持っている家はほぼ無いといえ、皇室でさえも海東青となると2羽しか持っていない程だった。
余りにも高価なので、却って海東青は秘蔵されてしまい、それ以外のハヤブサ類が鷹狩りでは主に重用される事態が、日本の上流階級の間では起きている程だったのだ。
(尚、それを伝え聞いたヌルハチは、上里清に対して、
「海東青を購入しながら、鷹狩りに用いないとは、それこそ宝の持ち腐れだ。海東青は鷹狩りで用いるために買うモノだ」
と論難するように言い、上里清もその言葉に同意せざるを得なかった)
そして、ハヤブサ類で鷹狩りをする場合の獲物だが。
主に鴨や鳩、山鳥や雉といった鳥類であり、時として兎等の小動物を鷹が狩ることもあった。
そして、鷹匠が主に先導して、鷹が仕留めた獲物の下に赴いて、獲物と餌をすり替えて、獲物を入手することになる。
更に言えば、鷹狩りで入手できた獲物は適宜に捌かれた後で食肉になり、自分達の食する料理に使ったり、友人等への贈り物になるのが恒例だった。
尚、この際に余談をすれば、日本国内で鷹狩りに主に用いられる猛禽類だが、ハヤブサ類以外にイヌワシやクマタカ等も用いられていた。
だが、イヌワシやクマタカを用いるのは、端的に言えば猟師の面々が圧倒的だった。
猟師の面々は、イヌワシやクマタカを鷹狩りで用いることで、狐や狸等の毛皮を得ることで生計を成り立たせていたのだ。
(尚、こういった猟師の多くが住んでいるのが奥羽山地を中心とする東日本だった。
この猟師の起源は諸説あるが、中央アジアから、更には山丹交易を介した上でのアイヌや蝦夷に、こういった猟師の鷹狩りは由来するというのは流石に時代が遡り過ぎという気がするし、かといって「皇軍来訪」に伴って、かつて奥羽の領主、国衆に仕えていた鷹匠の多くが、猟師に転職したためというのも、それを多くの猟師が否定することから、虚説と考えられる。
とはいえ、真実が何処にあるのか、と言えば、本当に闇としか言いようがないのが、この世界における現実だったのだ)
閑話休題。
そんなこんなが相まって、今上陛下を始めとする公家の面々(及び家族)が、鷹狩りをするとなると、周囲もその獲物等に期待するのが当然になっていた。
尚、鷹狩りは10代後半になって行うモノともされていたのだ。
(山野を駆ける以上、それなりの危険があったのだ)
鷹狩りは、山野を駆ける以上、どうしても山の中で迷う危険が伴うのです。
その為に(この世界では)10代前半までの子女は、鷹狩りに連れていかれることはありませんでした。
後、折角、海東青を購入したのに、鷹狩りで使わない人がいるのか、というと。
鷹狩りの鷹といえど、必ず鷹匠の所に帰ってくるとは限らず、時として行方不明になるのです。
その為に行方不明になっては困る、と海東青を鷹狩りに使わない人がいるのです。
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