第81章―7
少なからずメタい話が混じりますが、止むを得ないこととして、緩く見て下さい。
(それにしても、私自身が、ビックバン理論が1960年代半ばに有力化したことは、この小説を描くために調べるまで、全く知らないことでした)
この際に少しメタい視点も交えて、この宇宙の始まり、ビッグバン論について、この世界での状況を述べるならば、(史実の1941年時点といえる)「皇軍知識」では、宇宙に始まりは無い、宇宙は不変で定常的である、という考え、定常宇宙論が圧倒的多数説だった。
「皇軍知識」の中に、ビッグバン理論が全く無かった訳ではない、だが、天文学の極少数説だったのだ。
だが、「皇軍知識」が広まり、更に「皇軍」がもたらした技術によって、天体望遠鏡や電波望遠鏡が造られるようになって、それによる天体観測が行われ、そのデータが積み重なっていったところ。
この世界でも、銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっており、その速度は地球から各銀河までの距離に比例していることは間違いない、とされた。
そして、それを理論的に説明する方法となると、定常宇宙論よりもビッグバン理論の方が、整合性が取れるのでは、という意見が、天文学者の間で徐々に高まっていったのだ。
とはいえ、「宇宙は永遠で無間だから偉大なのだ」と考える人は、それこそ天文学者の中でも多数であり、更に天文学者以外の一般人の間では、ほとんどと言えた。
だから、ビッグバン理論は少数説のままだった。
だが、そういった状況が、1614年に大きく変わることになった。
ビッグバン理論が正しいという前提で、あると主張されていた宇宙マイクロ波背景放射が、間違いない観測データとして、複数から提示されたのだ。
この一件から、潮目は大きく変わり、ビッグバン理論が正しいのでは、という天文学者が増えた。
そして、それを受けた会話を、ガリレオとケプラーは交わした次第だった。
閑話休題。
ガリレオとケプラーを中心とする科学者達のデータ整理の場に戻ると。
「月の探査計画は、それなりに順調に進んでいて、後5年あれば、月面の何処に着陸すべきか、明確に決められそうだな」
「ああ、月の裏側の撮影にも、無事に成功したからな」
「そうはいっても、未だに月面への軟着陸に探査機は成功していないがな」
「それを言われるとつらいな」
「とはいえ、複数の月面探査機が既に何千枚どころか、何万枚もの写真を電送データで送っているし、それなりに着陸地点を絞り込めそうにはなりつつあるのが救いだな」
「唯、最初期からの月面探査機まで考えると、それなりの失敗が積み重なっているからな」
「失敗は成功の基、と言って流してくれる人ばかりではないからな」
「そんなことを下手に言ってみろ。ロケット1基の打ち上げにどれだけ費用が掛かる、更に探査機の開発製造費用を何と考える、と一部の人からは激怒されるぞ」
「他にも、一度には幸いなことに何十人もの死者を出してはいないとはいえ、ロケットの燃焼実験の失敗事故等で何人か、負傷者どころか、死者まで出しているしな」
「累計で言えば、既に数十人単位だ。中には宇宙飛行士までいるよな」
「本当に振り返って、これまでのことを考えると、時として沈んだ想いが湧いてしょうがない」
改めて、その場に集っているケプラーやガリレオ等の科学者の面々は、これまでに蓄積されたデータを整理しながら、ここに至るまでの道程を振り返らざるを得なかった。
後5年以内には月面に人類を送り届けよう、と世界の三大国は叫んでおり、それに多くの国も賛同して、様々な協力が為されている。
だが、その一方で、その為に多額の資金やモノが投じられており、又、犠牲者までがそれなりの数で実際に出ているのだ。
これまでに幾つもの人工衛星を打ち上げ、又、人類を宇宙空間に送り届けることに成功している。
だが、その一方で積み重ねられてきた様々なモノ。
それを振り返ってみると想いが溢れて来るものだ。
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