第81章―4
2024年現在の天文学からすれば、おかしな描写がこの後で多発しますが。
私なりに調査した上で、1960年代半ばの天文学に準じて、この世界の1615年時点での天文学を描いていきます。
だから、ビックバン理論等、曖昧な描写が相次ぎますが、どうか緩い感想等をお願いします。
広橋正之は、シェークスピアの最新作「1701年宇宙の旅」を読みながら、改めて想った。
確かシェークスピアの初期の小説の中で、世代間宇宙船によってたどり着いた他の恒星系の宇宙人が、ドーム式の大規模な半地下都市を月の裏側に築いて住んでいて、人類と接触、交渉する話があったが。
最新作では、月の裏側は単なる荒野のように描写されている。
実際に(この世界では)月の裏側の写真が、既に複数枚撮られているが、表側と同様の荒野に近く、ドーム式の大規模な半地下都市は見当たらない。
更に細かいことを言えば、月の海といえる平らな地形が、何故か裏側では乏しいようで、その点でも表側と同様に月の海があるという描写には無理がある。
シェークスピアが、最新作の著者後書きで、ドーム式の大規模な半地下都市の有無はともかくとして、月の裏側の地形の差異について、旧作との違いを弁明するしかない訳だ。
そんなことから、少なくとも当面は、50年以内にはたどり着けそうもない土星が、最新作の「1701年宇宙の旅」では舞台になっている。
だが、土星にしても、この描写は何処まで正しいだろうか。
現在、土星の衛星は10個まで発見されているが、少なくとも11個の衛星があると予言されている。
(史実の土星の衛星名で言えば、この世界ではヤヌスまでが発見されていて、ヤヌスの軌道から、エピメテウスが予言されている状況にある。
尚、皇軍知識では9個と考えられており、実際に皇軍の技術によって速やかに、その9個の存在が確認されていて、更なる発見が競われていた)
だから、土星には11個の衛星があるように「1701年宇宙の旅」では描写されているが、本当にそれだけしか土星に衛星は無いのだろうか。
実際には、もっと衛星があってもおかしくない気がする。
そういえば、木星の衛星の数は13個だという。
それからすれば、今、太陽系で最も衛星が多いのは、木星なのだが。
本当のところはどうなのだろうか。
木星と土星、どちらの方が衛星の数は多いのだろうか。
そんなことまで、正之の脳裏には浮かんだ。
そんなこんなを考えながら、「1701年宇宙の旅」を正之は読み終えた。
太陽系外の異星人とのファーストコンタクトを、土星の衛星タイタンの有人探査を行おうとした探査船の乗組員が果たす話は、正之にしてみれば、充分に楽しめるモノだった。
更にこの後の続編も、著者の後書きを信じればだが、シェークスピアは考えているようで、どんな続編になるのか、そんなことまで、正之は考えてしまった。
その一方で、正之は(この世界の)宇宙探査の現状を考えざるを得なかった。
取り敢えずと言っては何だが、月面有人探査が最優先、と日本も北米共和国もローマ帝国も考えてはいるが、それ以外のことに関しては,完全に同床異夢と自分は身内から聞かされている。
(その自分の身内の中には、それこそ伊達政宗首相や鷹司(上里)美子、皇后陛下や徳川秀忠らがいるのは、取りあえずで済ませてはいけないが、おいておこう)
将来の人類の移住先になるのか否か、金星や火星といった近隣の惑星探査を行いたがるモノ、科学的好奇心から太陽や太陽系の様々な惑星探査を進めたがるモノ、そんな様々な想いがぶつかり合う事態が起きているらしい。
そして、様々な宇宙探査の実施とその成果は、新たな天文学の知見を急激に増やすことになっている。
本当に17世紀中に太陽系外に人類が出ていくことは無理だろうが、18世紀以降になれば、人類は太陽系外に飛び出すことになっているかも。
更にその頃には、人類の天文学の知見はどこまで深まっているだろうか。
そんなことにまで、思わず正之は想いを巡らせてしまった。
ご感想等をお待ちしています。




