第80章―17
その万暦帝と側近らとのやり取りが、北京防衛の崩壊の始まりとなった。
それまでは、後金軍による数か月に亘る北京攻囲に、何とか北京を守ろうとして、明帝国軍は耐え忍んでいた。
(もっとも細かいことを言えば、後金軍が北京城を強攻しなかっただけ、というのも真理だった。
その一方で、様々な武器等の優越もあって、北京城から出撃して後金軍の攻囲を破ろうとする明帝国軍の攻撃は、容易に後金軍に撃退されるのが目に見えているのが現実だった。
だから、明帝国軍は籠城策をひたすらとるしか無かった。
その一方で、後金軍は兵糧攻めで北京を落とそうとしていたのであり、その為に北京は何とか死守されているというのが、現実だったのだ)
だが、このような状況にも関わらず、万暦帝が平然と正月の準備をせよ、と側近に命じて、それを聞いた側近が万暦帝に愛想を尽かした、更には、そういった側近が北京から逃亡して、後金軍に投降するようになった、更には後金がそういった投降者を暖かく受け入れている、と言う現実が、続け様に起こったことから、北京防衛に当たっていた明帝国軍の将兵までが相次いで、後金軍の下に奔る事態が起きたのだ。
こうなっては、北京防衛は不可能になったと言っても間違いなかった。
それこそ、後金軍によるほんの一押しで、北京は熟柿のように落ちる状況に至ったのだ。
こうした状況になっても、万暦帝は自らの夢の中にいたと言っても過言では無かった。
己を罪する詔どころか、後金軍等の下に奔る不忠の臣を罰して、三族皆殺しにせよ、彼らの為に我が明帝国は危機に陥った、という詔を発出しよう、と万暦帝は言う有様だったのだ。
その万暦帝の言葉を聞いた明帝国の軍人、又、官僚の多くが、更に後金国等に奔ることになった。
最早、明帝国の対後金国等の戦争の勝算は絶無としか、言いようがないのが現実なのだ。
それなのに、万暦帝は、自分は全く悪くない、臣下を罰する詔を出す、と言うとは。
文字通りに万暦帝に愛想を尽かす軍人や官僚が続出するのが、当然としか言いようが無かった。
こうしたことから、1616年2月末、僅かに残った側近は、万暦帝とやり取りをした。
「現実を見られませ」
「おう、ようやく後金が我が明に対して朝貢すると言ってきたのだな」
「逆です。降伏せよ、と後金は言っております」
「我が国は、外国から朝貢を受ける立場なのだ。それは太陽が東から昇って、西に沈むのと同じこと。何故に後金に我が国が降伏せねばならないのだ」
「北京を防衛する為の多くの兵が逃亡し、最早、北京城防衛もおぼつきませぬ。それなのに、明帝国が朝貢を受けられるとお考えなのですか」
「明帝国は朝貢を受ける立場で、対等外交さえあり得ぬ、と其方らは言っていたではないか。何故に後金から頭を下げて朝貢する以外の話の必要があるのだ」
「間もなく、城門を開いて、武装した後金軍の兵が北京に入城することになっております。その兵に対面していただきます」
「誰がそのような許可を出した」
「この場にいる者全員の総意です」
「それこそ謀叛ではないか」
「謀叛を引き起こしたのは、そちらのせいです」
「そちらだと、非礼にも程がある。この者をすぐに処刑せよ」
だが、その言葉に応じる者は誰一人としていない。
万暦帝は、ようやく現実が目に入ったようだった。
「後金軍は朕をどうすると言っておる。朕を殺すのか」
「殺さぬと言っております。日本の属国の王として処遇するとのことです」
「そんなことは許されぬ」
「許されぬと言うならば、自裁なされませ。誰も止めませぬ」
「朕に死ね、というのか」
「二つに一つです。皇帝として自裁するか。国王として生き長らえるか」
やり取りは続いた。
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