第80章―13
そういった状況に後金軍やモンゴル帝国軍があることを、明帝国の軍上層部にしても、それなりに察知はしていたが、それに対応することは困難というよりも不可能だった。
後金やモンゴルに対抗するために、兵器を改良強化するとなると、それこそ外国から輸入するか、それこそ自国で開発して量産化を果たすしかない。
そして、日本等にも対抗できるような兵器を、自国で開発して量産化するとなると、それこそ様々な産業基盤を整備することが必要不可欠だが、明帝国内の技術水準では、そんな産業基盤を整備することは、正直に言って夢物語に近かった。
何しろ、それこそ製鉄方法一つとっても、コークスを使える高炉を明帝国は保有していないし、それを製造する技術が無いのだ。
更に言えば、コークスを大量生産できる技術も、明帝国には無い。
コークスを使える高炉が無いと、鉄の量産化、更に鋼鉄を量産することは不可能に近い。
そして、鋼鉄を量産できるようにならないと、多くの近代兵器を量産することは不可能だ。
他にも様々な技術を導入しないと、明帝国の兵器の質を向上させて、量産することはできない。
そうなると、日本等からその技術を明帝国は導入するしかないのだが。
度々述べてきているが、中華思想の弊害が、そうなると噴出するのだ。
「夷狄の技術を導入するだと。自国の技術で何とかせよ」
「禽獣から成る夷狄の国の技術が、そんなに優れているだと。お前らは何をしていた。この給料泥棒め、責任を取らせろ、三族皆殺しだ」
そんな無責任な主張や批判が、すぐに明帝国政府内では噴出する。
だから、明帝国軍にしてみれば、兵器の改良等を何とか自国の技術でしようとするのだが、幾ら何でも不可能な話になってしまう。
それに銃砲類ならば、何とか格落ちモノを製造できるが、これが戦車や航空機となると、そもそも製造すること自体が、どうにも不可能な話である。
山海関を始めとする万里の長城を警備して、後金国軍の侵攻に備えている明帝国軍にしてみれば、それこそ勇敢に戦って死ぬのが精一杯としか言えないのが、目端が利く者程、分かる現実だった。
明帝国と後金国が敵対しているとはいえ、商売等の民間人の交流が皆無という訳ではない。
かつてと比べれば、遥かに細々とはなっているが、陸路を介した交流があるのだ。
更に山東半島と遼東半島を主に介した海上交通路を介した交流となると、従前よりも活発化しているという者までいるのが現実だった。
だから、後金国の兵器が、日本の協力によって急激に強化されているのが、必然的に明帝国軍上層部にもある程度は伝わっている。
そして、それに明帝国軍の武器では対抗できないことも、明帝国軍上層部には分かっている。
万里の長城を頼りにして、懸命に籠城策を執ることで抗戦し、もしも万里の長城が破れたら、北京市街での防衛戦を行うというのが、明帝国軍上層部では密かに了解されていた。
というか、それ以上の方策を、明帝国軍は取りようが無かった。
何しろ南京奪還の為に、北京からも兵が引き抜かれてしまったのだ。
このために後金軍が明帝国本土への侵攻作戦を発動した際に、北京周辺及び万里の長城を頼みに抗戦できる明帝国軍の総兵力は20万人と言ったところで、とても後金軍を万里の長城で阻止できるとは考えられないのが現実だった。
それに対して、後金軍は前線兵力だけで約12万人に達しており、その兵器の質の差はどうにもならない状況に達していたのだ。
こうしたことから、積極的に山海関等の万里の長城を越えて明帝国軍を撃破して、北京を攻囲しようとする後金国軍を、明帝国軍は阻止できず、後金国軍の攻囲下に最終的に北京は置かれる事態が起きたのだ。
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