第80章―8
「結局、上海近郊に上陸してから、1月も掛からずに南京を攻囲できるとは」
1615年8月、後藤基次中将は、参謀長である真田信繫少将に、愚痴混じりの言葉を発した。
「本来ならば、喜ぶべきなのでしょうが、確かに何とも言い難いですね」
真田少将も、後藤中将に寄り添うような言葉を発した。
実際に二人が微妙な想い、考えに耽るのも当然だった。
日本軍の武器の圧倒的な優位は、明帝国軍の積極的な正面からの抵抗を断念させている。
それこそ明帝国軍が懸命に築いたであろう堅陣が、戦車や航空機、艦砲射撃といった支援を受けた日本軍によって、1時間程の戦闘の末に容易に突破される事態が多発したからだ。
だから、明帝国軍は正面からの抗戦を断念し、後方襲撃等を多用するようになっている。
それだけならば、まだ後藤中将や真田少将が悩みも少なかっただろうが。
この世界の明帝国軍が、日本軍や北米共和国軍、更にはローマ帝国を始めとする欧州諸国の軍隊等の間では常識化されて、戦時国際法としてお互いに守るべきものとされていたことを知らないことが、更なる問題を増大化させつつあった。
日本軍や北米共和国軍等にしてみれば、民間人に対する攻撃は出来る限り避けるべきことだった。
(とはいえ、実際には日本軍や北米共和国軍内部等で、総力戦思想等から敵国の戦争遂行能力を奪うのは正しいことだとして、敵国の産業地帯、具体的には都市部に対する攻撃を呼号する軍人が、それなりの勢力を持っているのが現実でもあった)
そして、明帝国軍はそういったことを知ってか知らずか、日本軍が民間人に対する攻撃を避けることから、積極的に民間人に偽装しての日本軍への攻撃を展開しつつあるようなのだ。
更にこういったことが多発しては、それこそ既述だが、後藤中将と言えど、細川忠興中将らの主張に与せざるを得ない事態が引き起こされてしまう。
南京を日本軍は攻囲しつつあり、明帝国軍は南京の籠城作戦を準備しつつあるのだが。
航空偵察等を駆使する限り、明帝国軍は民間人に擬装して、南京市街を活用した抗戦準備を行いつつある疑惑が高まりつつあるのだ。
これに対して、南京市街に対して、絵入りのビラ(伝単)を大量に撒くことで、日本軍は明帝国軍の作戦を妨害しようと努めているのだが、そもそも文字を読める庶民が少ないことや、ビラの回収を懸命に明帝国軍が行っていることから、余りビラの効果が上がっていない、という疑惑を日本軍は抱きつつある。
そうは言っても、やるだけのことをやった上で、日本軍としては、南京攻略を図らざるを得ない。
「取り敢えず、南京市街に対する無差別爆撃警告を行った後、48時間後に南京市街に対する爆撃を行いましょう。その間に両手を挙げて、非武装で南京市街から出て来た住民は保護することにしましょう」
真田信繁少将は、後藤基次中将にそう提案した。
「その辺りが妥当だろうな。様々な非難の嵐が引き起こされるだろうが、警告に従って、出てこなかった以上、爆撃を加えられて当然、と居直らざるを得ないだろう」
後藤中将は、腹を括って言った。
実際問題として、このまま南京市街を日本軍が強攻する訳には行かなかった。
日本軍の10倍以上の人員が、南京市街にいると推定されている。
そこに民間人に擬装して、日本軍より数が多い明帝国軍がいるも推定されては。
市街戦では混戦が多発し、兵器の優位を活かし難いことまでも考えあわせれば、明帝国軍の前に日本軍が事実上敗北する事態も十分にあり得るのだ。
それを避けるとなると南京に爆撃を加えて、それなりに明帝国軍に打撃を与えた上で、日本軍は南京を攻めざるを得ない。
後藤中将は気鬱が深まらざるを得なかった。
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