第80章―7
ともかく、日本軍の上海周辺から南京への進撃は、様々な意味で急だった。
南京や上海周辺ならば、それなりの幅や水深が長江にはある。
流石に大和級戦艦を運用することは困難だったが、3000トン以下の駆逐艦級ならば、南京近郊まで長江での行動が可能であり、日本陸軍の進撃過程で、明軍が陣地を築いて抗戦しようとしていれば、駆逐艦による艦砲射撃を日本陸軍は要請して、容易に明軍の陣地を叩き潰す事態を引き起こせたのだ。
更に航空機による支援も、日本軍は可能だった。
「陸軍航空隊が、速やかに展開できる時代とはな」
「それだけ様々な技術が進歩したということですよ」
「確かにそうだな」
黒田長政陸軍大佐は、副官とそんなやり取りをしつつ、内心では色々と考えざるを得なかった。
実際に上海近郊に日本陸軍が上陸した後、速やかに飛行場建設の為の特設工兵隊が、様々な機械等を駆使することで、速やかに野戦飛行場を建設したのだ。
更にそこに自分達が、航空隊を展開することで、日本軍に対して航空支援を容易に行うことが出来ている。
かつて、北米独立戦争で日本軍が野戦飛行場を建設するのに、それこそ末期のカリブ諸島攻略戦を展開する頃でさえも、人海戦術に頼るしかなかったことを考えれば。
それから30年余りの歳月の流れから生じた変化に、自分は驚嘆せざるを得ない。
そして、あの頃はレシプロの複葉機が主力と言えたのに、今では完全にジェット機が主力となっており、更に地上部隊の支援を行うのにジェット機では速度が速すぎる等の理由から、ヘリコプターが地上部隊の支援を行うのが当然になりつつある。
とはいえ、ヘリコプターは航続距離が短い等の問題がある一方で、大規模な滑走路が不要という現実があることから、ヘリコプター基地と、それ以外の航空機の飛行場は分離されているのが現実で、自分はヘリコプター以外を指揮、運用しているのが現実だ。
その為に、自分は地上部隊の近接支援任務よりも、明帝国軍を相手に制空権確保や後方破壊任務を主に遂行する筈だったのだが。
そもそも明帝国軍が航空隊を保有していない以上、制空権は自分達が当然のように握ることになる。
後方破壊任務にしても、伊達政宗首相からの厳命だとして、市街地への爆撃等が、対明帝国派遣軍総司令官である後藤基次中将から厳禁されており、そんなに効果を挙げにくい現実が起きている。
様々な航空隊士官としての教育を自分は受けており、又、それこそ妻の栄子を始めとする自らの教え子達にその教育内容を自分も伝えているが。
その中で、敵国の戦争遂行能力を奪う為に、敵国の産業地帯(要するに都市)に対して、積極的な戦略爆撃を加えるべきだ、と自分は教えられたし、自分も教え子にそう伝えて来た。
だが、後藤中将はそれを否定する命令を下しており、自分としては本当に腹立たしい限りだ。
それこそ反応兵器等の使用は、流石に北米共和国やローマ帝国への聞こえもあるので止めざるを得ないだろうが、通常爆弾を大量使用して、明帝国の都市を片端から焼き尽くせば、こんな戦争はすぐに終わるのではないだろうか。
そんなことまで、黒田大佐は思わず考えてしまっていた。
(尚、何とも皮肉なことに黒田大佐の妻の栄子は、世界初の宇宙船パイロットの栄誉を得た為に、戦場に赴くことを、それこそ伊達政宗首相直々の命令で差し止められていた。
伊達首相にしてみれば、色々な意味で、栄子を戦場で戦死させる訳には行かなかったのだ)
そんな黒田大佐の想いとは無関係に、様々な支援を得られた日本軍の地上部隊は競うように南京攻略に逸ることになった。
そして、副都である南京を守ろうと、明軍も集まる事態が起きようとしていた。
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