第80章―4
後藤基次中将と真田信繫少将の会話は、必ずしも前向きとは言い難い結論に達したが。
実際に日本陸海軍上層部が考えれば考える程、対明帝国戦争を早期に終えるのは難しい話だった。
後金国とモンゴル帝国の事前行動によって、ある程度は上海近郊から南京に掛けての明帝国軍の兵力は削減されてはいるが、そうはいっても警察任務、治安維持に当たる部隊まで考えれば、数万人単位の部隊を明帝国は展開していた。
幾ら戦車やヘリコプターといった兵器を日本軍が投入できるとは言え、それこそ民間人に紛れての遊撃戦を明帝国軍が展開しては、更にそれに日本軍が対処せざるを得ない事態が起きては。
民間人に紛れての日本軍への襲撃作戦を明帝国軍に展開されては、日本軍も民間人の中に明帝国軍の兵士がいることを想定して、民間人の家宅捜索等を行わざるを得なくなる。
そう言った場合、いわゆる脛に傷がある民間人ならばともかく、本当に潔白な民間人にしてみれば、当然に日本軍に反感を抱くことになる。
勿論、家宅捜索の際に何も無ければ、詫びを当然に日本軍は言うが、捜索を受けた民間人が不当な侵害行為を日本軍に受けたという想いを抱くのは当然のことだ。
更に厄介なのは、こういったことは負の連鎖を引き起こしがちということだ。
日本等にしてみれば、明帝国内の混乱を懸念して、そういった混乱が起きないように、起きても小規模で済むように、ということで明帝国侵攻作戦を展開することを決めたのだが。
明帝国内から見れば、日本等のしていることは内政干渉、不当侵略と言われても当然なのだ。
そういった前提から見れば、お互いに相手を非難し合うことになり、更に日本等と明帝国との関係は悪化の一途を辿り、更に明帝国の住民の間では、反日等の動きが活発化しかねない。
ある程度は住民に利を食らわせる(要するに様々な物資援助を行う等のことをする)ことで、住民からの反日、抗日行動を抑制できるだろうが。
それが何処まで効力を発揮するか、というと。
更に考えれば、日本本国の人口は「皇軍来訪」後に激増しているとはいえ、この1615年当時に約3000万人と謳われてはいたが、その一方で明帝国の人口は、明帝国政府の人口統計が全く信用できないので、日本国内の様々な情報機関(外務省や軍部)の推論(更にその推論にしても、各組織の間で見解が分かれている)に頼るしかないのだが、最大で1億6000万人、最小でも1億2000万人はいると推論されていた。
(この際に、少しメタい裏事情も加えて説明すると。
この当時の明帝国の税制の一部は人頭税であり、更にその人頭税を納めるのは成人男性のみだった。
この為に人頭税の納税帳簿に載るのは成人男性に限られる事態が起きていた。
裏返せば、女性や未成年の男性は、人頭税の納税帳簿に載らないのだ。
更に言えば、明帝国政府の腐敗は、そういった納税帳簿を誤魔化して、官僚が私腹を肥やすのが当たり前という事態を引き起こしていた。
例えば、ある村に100人の成人男性がいるのに、明帝国政府には80人しかいないといえば、その差の20人分の人頭税を官僚は懐に入れられるのだ。
この為に明帝国政府の人口統計は全く信用が置けず、耕地面積等から日本政府の情報機関は、明帝国政府の人口を推測する事態が起きていたのだ)
勿論、日本にしてみれば、本国以外に自治領(植民地)にも人がいるし、又、後金国やモンゴル帝国といった存在もある以上、日本本国だけで明帝国の住民に対する宣撫工作を行う必要は無いのだが、そうはいっても日本本国よりも圧倒的に人口が多い明帝国が相手とあっては。
日本軍上層部は、宣撫工作を行うのにも頭を痛めることになった。
ご感想等をお待ちしています。
尚、史実とこの世界の明帝国の人口問題については、後日、補足します。




