第80章―2
そんな風に日本としては、想定外と言える事態も起きたが、これはこれで日本にとっては好都合といえる事態だった。
流石に明帝国内に後金国やモンゴル帝国の軍隊が侵攻を行っては、明軍もそれに対処せざるを得ない。
更に言うまでもないことだが、後金国やモンゴル帝国の軍隊は日本製の武器を装備しているのだ。
(尚、後金国に至っては、小銃程度で、製造に必要な鉄等を日本からの輸入に頼る形ではあったが、一部の日本製兵器のライセンス生産さえ試みつつあった)
明軍が苦戦を強いられ、それに対処する為の軍隊の増援を求めるのも当然ということになる。
特に後金国の掠奪行は、首都北京周辺にて大規模に行われたことから、首都の北京を護らねば、と明帝国各地から陸軍が駆り集められる事態が引き起こされることになった。
又、四川省や雲南省には、そもそも治安警備程度の明帝国軍しかいなかったことから、モンゴル帝国軍の侵入の前に、慌てて兵を徴募する一方で、湖北や湖南、広州等から明帝国軍が送り込まれる事態が引き起こされ、穴埋めの為に南京周辺の部隊の一部が、湖北や湖南、広州等に更に向かうことになった。
こういった明帝国軍の行動は、日本軍の上海近郊への上陸作戦実行、更には南京への進撃を容易にするものといえることだった。
だが、その一方で、対明帝国侵攻作戦となると、日本本国軍の動員だけでは足りず、自治領軍等に対してもある程度の動員を、日本本国は依頼しない訳には行かなかった。
尚、日本本国への忠誠心が高い豪州等や、対北米共和国関係から常に日本本国との連携が必要な状況にあるカリフォルニアはこの日本本国からの依頼を、二つ返事で受け入れたが。
中南米や南アフリカの自治領は、何で日本本国が明白な危機にさらされてもいないのに動員を掛けるのか、と良い顔をしなかったし。
琉球王国に至っては、後金国の国内整備に軍隊を派遣している以上、対明帝国戦争に軍隊を動員できる余裕は無い、と日本本国からの依頼を拒否する態度を執る有様だった。
(最もこれはこれで、後金国で治安維持に当たる軍隊の一部を、対明帝国戦争に投入できるということであり、日本や後金国にとって、必ずしも悪い話では無かった。
尚、琉球王国としても、親明帝国派を宥めるための方便として、親日派が主張している現実があった)
そんなこんなから、日本本国軍2個師団と、自治領軍1個師団が編制された上で、対明帝国戦争に投入される事態が、最終的に起きることになった。
(尚、いうまでもないが、それ以外に艦隊や航空隊も対明帝国戦争に際しては投入される)
そして、対明帝国戦争において、上海近郊から南京を目指す日本軍の軍団の指揮を任された人材だが。
「よろしく頼む」
「後藤基次中将が、指揮を執られる以上、そこまで低姿勢にならずとも」
「いや、年功序列とはいえ、色々と気が重い。立花宗茂少将に、武田信勝少将を師団長に迎えるとなるとな。更に言えば、自治領軍で編制された師団長は、細川忠興中将だからな」
「それを言われては、私も気が引けますが」
「真田信繁少将を参謀長に迎え入れられたのは、本当に幸い。父御(真田昌幸)の後を継ぐに相応しい才能を持つ、と言われておられますからな」
派遣軍司令官である後藤基次中将は、真田信繁少将とそんな会話を交わした。
実際、後藤中将が零すのも無理は無かった。
立花宗茂の養父にして義父(娘婿になる)は、陸軍参謀総長を務めた戸次鑑連である。
(この世界では)立花鑑載が病死した為、大友本家からの依頼で戸次鑑連が立花家を廃絶家再興したのだ。
又、細川忠興の父は細川藤孝、武田信勝の父は武田勝頼になる。
三人共に偉大な父を持つ武人だった。
それこそ史実で言えば、大坂の陣の頃ということもあり、更にこの小説世界では、最終部に近い段階の日本軍の描写ということも相まって、色々と過去にも因縁のある将帥を登場させることにしました。
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