第79章―12
そんな実の母娘の会話があった翌日、鷹司(上里)美子は尚侍の仕事上から出勤し、今上(後水尾天皇)陛下と向かい合っていた。
「いきなり、尚侍から話したいことがあるとは何事かな」
「本来からすれば、二条昭実内大臣から上奏すべきことですが、ことが事だけに、私から上奏するように伊達首相から依頼されました」
「それ程のこととは何かな。明帝国との戦争を伊達首相は決意したのか」
19歳の少年とは想えぬ聡明なやり取りを、今上陛下は美子とした。
美子は想わず考えた。
本当に皮肉なことだ。
自分に釣り合うような男性になろう、と今上陛下は懸命に努力を続けられている。
そのために、私の暗黙の考えさえも察する程になっている。
ここまで率直な好意を向けられ、更に努力を見せられては、夫のいる身でありながら、その好意に報いないのを後ろめたくさえ感じてしまう。
更に言えば、後5年余り後には、私の夫という障害が無くなる可能性が高いのをお互いに知っている。
1612年に近衛前久公が、1614年に近衛信尹公が薨去されたことから、お互いに「皇軍知識」通りに史実で病死した人が亡くなるのは、ほぼ間違いないと確信するようになっている。
1619年に二条昭実内大臣が薨去すれば、私は夫の鷹司信尚が1621年に薨去すると覚悟を完全に固めざるを得ないだろう。
更に、今上陛下は、私を中宮に迎えようと、それなりのことをするだろう。
今上陛下に奏上する内容の重さ、対明帝国への宣戦布告について、伊達首相の言葉に従うように依頼することについての重さから、思わず眼前のこととは無関係のことを、美子は考えたが。
それが、全く無意味なことも、美子は重々承知している。
美子は、自分の考えを添えた上で、今上陛下に伊達首相の言葉に賛同するように勧めた。
美子の言葉が終わった後、今上陛下は一言だけ言った。
「対明帝国への宣戦布告を、伊達首相は勧めるか。尚侍が直言するという事は、二条内大臣は反対しているということだな。上司である内大臣の反対を、尚侍は無視して良いのか」
「確かに良いことではありません。しかし、私なりに考えた末のことです」
「そうか」
美子の答えに手短に答えた後、今上陛下は少し考えに沈まれた。
二人の間に暫く沈黙の時が流れた後、今上陛下は口を開いた。
「首相の言葉には従わざるをえまい。それが、日本の政治体制だ。対明帝国への宣戦布告を裁可しよう」
「有難うございます」
美子は頭を下げつつ答えながら、考えた。
今上陛下は、単に首相と言った。
つまり、本音では反対なのだ。
だが、日本の政治体制からすれば、伊達首相が主張することに、自分が反対してはならない、と自らを律したのだ。
美子の考えが、何処まで伝わったのか、今上陛下は言葉をつないだ。
「後金国やモンゴルが日本の味方とはいえ、本当に勝てる戦争なのだろうか」
「伊達首相は勝てる、と考えているようです」
「確かに明帝国から、最悪の場合は何百万人も難民が周辺諸国に押し寄せかねない、更にそれによる混乱はローマ帝国を利するかもしれない、と言われては。更にそういったことに備えるための戦争、と言われては、朕としては対明帝国への宣戦布告を裁可せざるを得ないが、本当に勝てるのか」
今上陛下の更なる言葉は、美子の内心を抉った。
「何をもって勝ったと言えるのか、ということになるやもしれませぬ」
美子は少なからず煩悶した後で、今上陛下に言葉を絞り出した。
「どういう意味かな」
「底なし沼のような終わりの見えない戦争になるやもしれません。ですが、日本を始めとする周辺諸国に大量の難民が押し寄せるよりもマシ、勝ったと言えるやも」
今上陛下と美子は、重いやり取りをした。
ご感想等をお待ちしています。




