第79章―9
本来からすれば、こういったことについては、内大臣である二条昭実が今上(後水尾天皇)陛下に上奏する筈なのに、尚侍である鷹司(上里)美子が何故に今上陛下に上奏するのか、という幕間めいた裏事情の説明話になります。
「ところで、この件について、何故に二条昭実内大臣が上奏なさらないのでしょうか。内大臣が、こういったことの口添えをするのが当然でしょうに」
鷹司(上里)美子が尋ねると、伊達政宗首相は渋い顔をして言った。
「断固、断ると即答された。終わりがはっきりさせられない戦争の上奏を、内大臣としてはできないと」
「それなら、私も断ります。叔父には逆らえません」
美子も言い出した。
「そういうと考えたが、君なら協力してくれる、とも考えたのだ。君ならば、肌感覚で難民問題を知っているだろう。直に知らなくとも、実母である義姉や実父に聞けば済む話だし、聞いている筈だ」
「本当に酷い従兄を、私は持ったものですね」
美子と政宗は、更なるやり取りをした。
実際問題として、この当時、織田(三条)美子を完全に別格として、伊達政宗首相の首に鈴を付けられるのは、二条昭実内大臣しかいない、というのが、日本どころか世界で衆目が一致するところ、と言ってもあながち間違いでは無かった。
二条内大臣は元首相でもあり、労農党の将来の首相候補筆頭として、政宗を鍛えた存在でもある。
更に義理の従兄弟関係にも二人はなる。
二条内大臣の正妻は、織田(三条)美子の娘だからだ。
だから、さしもの伊達首相も二条内大臣が相手では、それなりの態度を執らざるを得ないのだ。
そして、今回の対明帝国戦争の発動について、二条内大臣に伊達首相は協力を求めたのだが。
下記のようなやり取りをした末に、二条内大臣は伊達首相に協力を拒否したのだ。
「明帝国と戦争をするだと。どうやって、その戦争を終わらせる気だ」
「北京と南京、及びその周辺地域を日本と後金国で制圧し、更に四川省と雲南省をモンゴル帝国が制圧すれば、明帝国も和を乞うて、戦争が終わると考えています」
「考えが甘いぞ。明帝国全土を制圧しないと、戦争は終わらないと考えるべきだ。仮に北京を占領する際に、明帝国の皇帝が崩御しても、皇族が改めて明帝国の皇帝に即位して、日本やその同盟国が、明帝国全土を制圧するまで、抗戦すると儂は考える」
「そんなことはアリエナイ、と考えますが」
「「皇軍来訪」が起こる、と誰が考えた?ローマ帝国復興があり得る、と誰が考えた?それよりも遥かに可能性が高いことではないか。明帝国全土を制圧するまで、対明帝国戦争が終わらない、というのは。実際にモンゴルは宋帝国全土を占領することによって、やっと対宋帝国戦争を終えたのだぞ。十八史略の最後が崖山の戦いで、宋の皇帝が入水するところで終わっているのを知らぬ、とは言わせぬぞ」
「確かにその通りです」
二条内大臣の鋭い舌鋒は、伊達首相を防戦一方にさせた。
「確かに宮中と政府は完全分離されていて、内大臣としては、政府に関することに容喙することはできぬ。だが、だからこそ、この件を内大臣として、今上陛下に上奏するのに協力することは、断固として拒否する。どうしてもやるというのなら、儂を外して上奏しろ」
そこまで言って、二条内大臣は、伊達首相への協力を拒否してしまった。
さて、そうなると。
伊達首相としては、頭を抱えることになった。
二条内大臣が対明帝国戦争に絶対反対の態度を執る以上、成人している摂家の当主全員が、対明帝国戦争反対の態度を執るのは必然だ。
この1615年当時の五摂家の当主だが。
まず、近衛信尋も一条昭良も、未成年なのだ。
そして、九条兼孝と鷹司信房は、二条内大臣の兄弟なのだ。
更に、その政治力からいって、二条内大臣の言葉に九条兼孝と鷹司信房は従うだろう。
それを跳ね返して、今上陛下を説得できる存在となると。
伊達首相としては、鷹司(上里)美子しかいない、と考えざるを得なかった。
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