第79章―7
そして、モンゴル帝国の対明帝国侵攻作戦にしても、緩々とした侵攻作戦としか言いようが無かった。
何しろこの段階での侵攻作戦は、四川省や雲南省に基本的に限られることになっていた。
そうしないと、荒廃しきった明帝国の大地に足を取られる以上、まずは占領地の足場固めをして、更なる侵攻作戦を行うべきだ、とモンゴル帝国を、日本や後金国は説得したのだ。
(こういった日本や後金国からの提言に対しては、リンダン・ハーンは、オゴデイ・ハーン流にやればよいのだ(要するに抵抗する漢民族は皆殺しにしていけばよい)と内々では放言したが。
そうは言っても、自らがアカ(兄)と奉ずるヌルハチまでが、明帝国の侵攻作戦については、占領地の足場固めをしつつ、更なる侵攻作戦を行うべきだ、とリンダン・ハーンに言っては。
兄の言葉に弟として従わざるを得ない、と横を向きつつ、リンダン・ハーンは言わざるを得なかった)
ともかく、日本や後金国、モンゴル帝国等にしてみれば、最善と言えるのが、北京周辺及び南京周辺を制圧する一方、四川省や雲南省に対するモンゴル帝国の侵攻作戦が行われることによって、明帝国がこれ以上の抗戦を断念して、日本等と講和条約を締結し、内政改革に自ら乗り出してくれることだった。
だが、そう上手く行くのか、というと日本及びその同盟国全ての政府、軍最上層部が否定的にならざるを得なかった、と言っても過言では無かった。
何しろ,ゴリゴリの中華思想を明帝国は持っている。
夜郎自大と言う言葉があるが、その言葉を逆に明帝国に日本は贈りたい状況にあるのだ。
日本からの外交申入れに対して、
「東夷の小国である日本が、明帝国に対して五拝三叩頭の礼を、まずは尽くすのが当然。それなのに日本が我が国に対して対等外交を求めるとは、小国の驕りにも程があり、非礼極まりない」
それが明帝国の公式回答である。
軍艦や軍用機による示威行動に対しても、
「そんなモノ、我が国ならば、すぐに何十倍も、より優れたモノを質量共に造れるのだ。東夷の日本は、現実を見られるべきではないのか。本当に東夷の日本は困った国だ」
と何処まで現実が見えているのか、そんなことまで明帝国の外交使節は日本政府に言うのだ。
(尚、これは外交使節、明の官僚としての自己保身でもあった。
何しろ、下手に皇帝に対して、日本の現実を上奏した場合、文字通りに自分や家族のクビが飛ぶのだ。
夷狄に我が国が劣っているというのか、そんな国にした責任をお前はとれ、という論理である。
以前にも述べたが、明の官僚は自発的辞職さえも皇帝批判とされて、自分や家族のクビが文字通りに飛びかねないのだ。
かといって、明帝国への出仕を拒めば、、これまた、勅命違反だ、忠に反する行為だとして自分や家族のクビが文字通りに飛びかねない。
だから、息をひそめて、皇帝の意向におもねる生活を送るしかないのが、明の官僚の現実だった)
そうなると、日本等としては、北京や南京を占領して、明の皇帝に現実を直視させる一方、四川省や雲南省からも脅威を与えることで、逃亡先は無い、と明帝国の皇帝や政府に考えさせることで、早期の講和条約を明帝国と締結して、日本人を政府顧問等にすることで、明帝国に内政改革をを行わせて、日本等への新たな外交関係を締結させるしかない、とまで真剣に考えざるを得なかった。
(尚、時の明帝国の皇帝、万暦帝はそれこそ秦帝国の二世皇帝、胡亥と同様の有様を呈していた。
自らにおもねる官僚、宦官からの佞言を、自らの耳に心地よく聞く一方、それに反する忠言、諫言を文字通りに命懸けで上奏する忠臣を、
「朕を誹謗する奸臣である」
として三族皆殺しにする有様だった)
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