第78章―19
欧州のこの当時の鉄道技術等の現実に関する話になります。
話が余りにもズレたので、ユーラシア大陸横断鉄道建設について、欧州方面の1615年の現実を述べるならば、まだまだ建設途上としか、言いようが無かった。
取り敢えずと言えば、言葉が悪いが。
(メタい話になるが)史実で言えば、標準軌でユーラシア大陸横断鉄道は建設されることになり、それでリスボンからモスクワまでつなぐ鉄道の建設が、欧州方面では図られたのだが。
それこそ各国の実情に合わせて、鉄道のグレード(?)が決まるのは、どうにもならなかった。
日本は欧州諸国にそれこそ、この世界の当時としては最新型と言える(史実で言うところの)CTCの採用までも、ユーラシア大陸横断鉄道の運行について求めたのだが。
実際問題として、そんなシステムの採用を行って、実際に鉄道を運行する等、欧州諸国にしてみれば高根の花にも程がある話だった。
単線区間の閉塞を維持するために、CTCどころかタブレットを遣えば充分、というか、それが身の丈にあった鉄道運行というのが、この当時の欧州諸国では当たり前だったのだ。
勿論、鉄道事故の危険を低減するという観点からすれば、タブレットでは不充分と言われても当然としか言いようが無い。
だが、「皇軍来訪」によって、実地に1550年前後から鉄道運行の経験を積み重ねて来た日本に対して、欧州諸国で鉄道が敷設され、実際に運行が始まったのは1590年前後と言っても過言では無い。
更に言えば、幾ら日本から様々な技術を学んだとはいえ、実際に鉄道を運行して、それで利益が生み出せるのか、というと。
冷たいことを言うようだが、この当時の欧州の人口密度や産業基盤から言えば、大規模な鉄道を建設して運行して、人や物の輸送で利益を上げようというのは、色々と難しいとしか言いようが無かった。
何しろ、この当時の欧州の国民の8割以上が農業に従事していて、それ以外に従事しているのは1割余りというのが、産業革命がまだまだ進捗していないことも相まって、哀しい現実としか言いようが無かった。
(これに対しては、基本的に農業に従事しているとはいえど、内職をする等、兼業で小規模な商工業を営む者がいる以上、それは余りに前近代社会を農業を基本とする社会に矮小化しているという人もいるが。
そうは言っても、実際にどれだけの収入が、農業以外によって住民が得られているのかというと。
農業がどうのこうの言っても中心の社会としか、当時の欧州は言いようが無かったのだ)
だから、欧州諸国では、ユーラシア大陸横断鉄道は単線で、更に非電化で充分だとする国が多発することになった。
更に言えば、ディーゼル機関車の導入にも消極的になる国が多発することになった。
ディーゼル機関車を導入するということは、原油を輸入する必要があるということになるからだ。
ドイツやイングランド等、石炭ならば自給どころか輸出できる国にしてみれば、蒸気機関車で何とかしよう、そうすれば金銀の流出を防げるという発想になったのだ。
そんなこんなが相まった結果、日本では新幹線計画が立案され、実際にその名に相応しい時速200キロ近い高速鉄道が現実に建設、運行されようとしているのに、この当時の欧州諸国の鉄道では、時速100キロも出れば高速鉄道と言う評価を受ける事態が起こることになった。
勿論、欧州の鉄道関係者の多くが、この現実については切歯扼腕し、政府上層部に対して様々な鉄道の改良策を力説することになったが、そうはいっても採算問題を、政府上層部から持ち出されては最終的には沈黙せざるを得ない。
そうしたことから、ローマ帝国より西の欧州諸国の鉄道が、日本及び日系諸国に追いつくのは、かなり先になる事態が起きた。
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