第78章―18
この後の3話で、欧州全体の話を描いて、新章に移ります。
ざっとした説明に成らざるを得ないが、1615年当時の欧州諸国の現状は、こういったものだった。
ローマ帝国の圧倒的な軍事力(何しろ水爆実験さえ、ローマ帝国は成功しており、公式には反応兵器を保有していない、とローマ帝国政府は言明していたが、実は保有しているのでは、と日本を始めとする諸外国は疑念を覚えている現実があった)に加え、欧州諸国が国政改革に勤しまざるを得ない状況から、何とも皮肉なことに欧州の戦禍はほぼ絶えたといえるのが、1615年の欧州全体の状況だったのだ。
この頃のアンリ4世の言葉として伝わる言葉だが。
「1572年に自分が最初の結婚をしたときは、我がフランスは内戦(ユグノー戦争)の真っただ中で、大虐殺事件が起きたのを思い出す。そして、欧州内外で戦争が絶えない有様だった。1574年には、それこそ北米独立戦争という世界規模の戦争が起きた程だった。それから10年余り後の1585年には、ローマ帝国が復興するという事態まで起きた。あの頃の自分は、何時になれば平和が訪れるのだろう、とさえ悲観的ならざるを得なかった程だ。だが、ローマ帝国がイタリアに侵攻し、東西教会の合同を果たした頃から、欧州の戦禍は徐々に収まることになった。勿論、その後もウクライナからモスクワへと、ローマ帝国の拡大は続き、ロシア帝国内では長きに亘って、ローマ帝国に対する抗戦が行われたのは事実だ。その際には、一時とはいえ、フランス軍もウクライナの大地に赴いた程だ。だが、その一方で、欧州は徐々に平和になっていった。今では、フランスを始めとする欧州の国々は平和を謳歌している。このまま自分の子や孫が戦争を知らないまま、成長していき、生涯を終えてほしいものだ」
そうした背景が、ユーラシア大陸横断鉄道建設に前向きな態度を、欧州諸国政府の最上層部に執らせる事態を引き起こしていた。
かつてのように、欧州諸国同士が対立している時代であったら、仮に日本及び日系諸国から様々な技術等が伝来したとしても、国と国を直につなぐ鉄道の建設等は考えられもしなかっただろう。
そういったものは、まずは国内整備が優先で、更にはいざという時、具体的には戦時を想定して整備していくものだ、とかつての欧州諸国政府の最上層部は考えていた。
だが、今やそういった大規模な戦争が欧州で起こるとは考えにくくなっていた。
というか、戦争を起こしてはならない、という考えが最上層部から、徐々に庶民にまで広まっていた。
何しろ宇宙にまで人類が赴く時代になったのだ。
その一方で、いざ戦争となれば、その惨禍が極めて大きいのが、皮肉なことに技術の進歩で庶民にまで広まるようになっていた。
かつては文字が読めなければ、情報が中々手に入らないと言ってもよく、更に識字率も低かった。
だが、日本がもたらした様々な技術は、それこそ庶民にまで情報を容易に伝えるようになっていた。
例えば、書籍の値段の暴落である。
日本がもたらした大量印刷技術は、かつては本1冊を買うとなると、印刷本でさえ庶民が丸1日働いても買えない程だった本を、1時間も働けば買える程に安価にしたのだ。
更にそうしたことが、庶民の識字率を自発的に高めるようにもなっていった。
又、トーキー映画や街頭ラジオ等の普及によって、文字がそう読めなくとも、庶民でも情報が手に入る時代が訪れつつもあった。
こうしたことが、庶民の様々な知識を高めていくことになった。
そして、知識が広まれば、それについて語り合うことで、考えを深めることもできる。
こうしたことが相まって、庶民の知識を高めて、又、考えを深めていくことになった。
それらが関連して、欧州を変えていた。
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