第78章―10
極めて皮肉と言えば皮肉だが。
この当時、ローマ帝国復興戦争からロシア皇帝(モスクワ大公)戴冠戦争に至るまでのローマ帝国の対欧州諸国に対する外交政策については、以下の3点が基本となっていた。
1,ローマ帝国は欧州諸国の内政や宗教問題に介入しない。
2,それ故にローマ帝国は、ローマ教皇庁と連携はするが、政教分離を大原則として行動する。
3,それ故に聖界諸侯(具体的に想定されていたのは、ドイツ帝国内の選帝侯を兼ねているケルン大司教等)については、速やかに世俗から離れるように、ローマ教皇庁を介して指示する。
(これは、ローマ帝国、細かく言えば女帝エウドキヤが、祖国復興からローマ奪還に伴う東西教会の合同、更にはキエフ大公、モスクワ大公の戴冠を目指した事情から起きた事態と言える。
女帝エウドキヤにしてみれば、欧州諸国にはできる限り、首を突っ込みたくなかったのだ)
このローマ帝国の外交政策について、様々な批判が当時から浴びせられはしたが。
その一方で、多くの欧州諸国の世俗君主を始めとする指導者層から、このローマ帝国の外交政策は、表面上はともかく、内心では大賛成される外交政策と言って良かった。
何しろ、後述するフランスの三部会が良い例だが、聖職者が政府の一翼を担うのが、この16世紀当時の欧州では当たり前だったのだ。
そして、それを背景にして、ローマ帝国がローマ教皇庁を介して、欧州諸国の内政に本格的に介入するような事態が引き起こされたら。
例えば、フランスの三部会の第一部会は、完全にローマ帝国の指示に唯々諾々と従う存在になり、フランスの政策の多くが、ローマ帝国の意向に左右されてしまい、事実上の属国になるだろう。
ドイツ帝国に至っては、七つの選帝侯の内三つが聖界諸侯であり、世俗の選帝侯四人の誰か一人でも寝返れば、ドイツ帝国の皇帝は、ローマ帝国によって、事実上任命される事態が起きてしまう。
正に後世でゲーテが嘆いたのも当然の惨状に、ドイツ帝国はなりかねなかったのだ。
(ローマ帝国の皇帝によって、ドイツ皇帝は事実上任命される事態が引き起こされれば。
フランスを始めとする他の欧州諸国の様々な層、上は国王から下は庶民に至るまでから、
「ドイツ帝国は、君主は皇帝を名乗っているが、独立国ではなく、ローマ帝国の属国だな」
と嘲笑されて当然の事態と言えた)
こうした背景もあって、聖界諸侯は世俗の権力、例えば、選帝侯であれば選帝侯の地位を止め、司教としての職務に専念することになった。
更には、広大な選帝侯領についても、その多くを皇帝(具体的には、ハプスブルク家)に渡す事態が、ドイツ帝国内では起きることになった。
(これはフランス等、他のカトリック諸国でも、同じようなことが起きたことだった。
ローマ教皇を始めとする多くの聖職者としても、本音ではかなり躊躇われる事態ではあったが。
ローマ帝国がカトリック教会に属している土地等を調査し、その余剰分については、ローマ帝国に帰属させるように求める事態が起きては。
カトリックの聖職者の多くが、現地の皇帝や国王に教会領(その多くが土地)を寄進することを決断せざるを得なかった。
何しろ、度々述べているが、東西教会の合同はカトリック教会にとって苦汁を呑まされた代物だった。
その背景にあったローマ帝国を肥え太らせる位ならば、現地の皇帝や国王に教会領を寄進した方がマシという論理に、多くのカトリックの聖職者が賛同し、ローマ教皇庁も支持したのだ)
ともかく、こうした裏事情から、ドイツ帝国の皇帝(というよりもハプスブルク家)は強い力を持てるようになる事態が起きた。
そして、それを背景にドイツ帝国は力を付けた。
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