第78章―7
少なからずの予定変更になりますが。
欧州諸国の1615年時点の現状を、順次、描いていくことにします。
(というか、今、描いておかないと、色々と描く機会を逸する気がしました)
さて、この際に目を転じて、欧州諸国の情勢を、順次、述べておくことにする。
まず、ローマ帝国のモスクワから白海、バルト海へつながる運河の建設、更にそれに伴うペトログラードの建設等と言った事態は、バルト海沿岸諸国、特に北欧諸国に甚大な影響を引き起こした。
一部は既述しているが、1523年にスウェーデンが北欧をまとめていたカルマル同盟から離脱したことで、北欧ではデンマーク=ノルウェー王国と、スウェーデン(=フィンランド)王国が対峙する状況が引き起こされた。
更に言えば、(史実とは色々と違う流れをたどることにはなったが)北欧では、ルター派を中心とするプロテスタントの信徒が、住民の多数を占める事態が徐々に引き起こされることになった。
そのために、この1615年の時点では、宗教的には北欧はプロテスタント、特にルター派の一大拠点といえる状況になっていた。
そして、このことで、対外関係に北欧諸国は問題を抱えることになった。
このプロテスタント化の理由の一つが、北欧におけるカトリック教会領だった。
この当時、上記のデンマーク=ノルウェー王国とスウェーデン(=フィンランド)王国の対峙状況は、必然的に国民に対する重税を課する事態となり、免税等の特権を持つカトリック教会領が親国王勢力に目を付けられる事態が起きた。
そして、国王や多くの貴族がプロテスタントに改宗し、カトリック教会領を国に没収するという事態が起きたのだ。
(この辺りは、北欧においては、農業生産力が中欧や南欧に対して低いという裏事情も更にある。
必然的に余剰生産力に乏しく、税負担が困難になりがちである以上、中欧や南欧に比べて、教会領は国王に敵視されやすく、又、国民というより住民の間でも、教会領は免税という特権を持っているとして嫉視されやすかったのだ)
だが、このことは当然に「東西教会の守護者」と称するローマ帝国との関係を冷却化することになる。
ローマ帝国とて、それなり以上の現実主義を執るが、カトリック教会領の没収を行われては、流石に看過する訳には行かないからだ。
カトリック教会領の没収を理由に北欧諸国に戦争を吹っかけるようなことまではしなかったが、公式に非難声明をローマ教皇庁と連名でローマ帝国が何度も出すような事態になった。
そうなってくると、北欧諸国としても、ローマ帝国からの様々な脅威を直視して対処せざるを得ない。
特にスウェーデン(=フィンランド)王国にしてみれば、直に陸地の国境線がローマ帝国と接している以上、尚更に警戒する事態が起きた。
だから、ローマ帝国の様々な脅威に対処するために、(本音では共に嫌々だったが)デンマーク=ノルウェー王国とスウェーデン(=フィンランド)王国は、(表面上に過ぎなかったが)和解するという事態が起きることになった。
更にこの時のデンマーク=ノルウェー王国とスウェーデン(=フィンランド)王国は、1614年当時には、共に後世にまで名が伝わる英雄王を戴いていた。
デンマーク=ノルウェー王国はクリスティアン4世、スウェーデン(=フィンランド)王国はグスタフ=アドルフを国王として戴いていたのだ。
様々な歴史的なしがらみが、両国王の間にはあったが、ローマ帝国という大敵を前にしては、共に手を組まないと対処できないのが、二人共に分かっており、更に共に有能な国王だった。
だから、二人は(少なくとも表面上は)悦んで手を組んで、ローマ帝国の脅威に対処する必要がある、と共に主張して、国内の反対勢力を宥め、時としては、弾圧までして、北欧を護ろうとした。
更には日本や北米共和国から、様々な技術等の導入まで行い、国内改革を共に遂行したのだ。
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