第78章―3
ユーラシア大陸横断鉄道は、余りにも大規模な計画だった。
そして、鉄道網という言葉があるように、1本の幹線を建設するだけでは、本来からすれば鉄道の役割というか、力を充分に果たすことはできない。
幹線を建設すると共に、それにつながった支線も建設されないと、鉄道としての力、様々な人やモノを運ぶという力が充分には発揮されないのが現実だからである。
だから、リスボンから京の都に至るまでの幹線に加えて、それにつながった支線の建設計画も各国内で建てられることになった。
地形の関係から、ポルトガルのリスボンからスペインへ、ピレネー山脈を越えて更にフランスからドイツへ、ポーランド=リトアニア、ローマ帝国、後金国から日本の京へとユーラシア大陸横断鉄道は建設されることになるが、それにどのように支線をつなぐのか、各国内で大議論が行われた。
それこそ、一部の国は外国からも介入を受けた。
例えば、フランスはイングランドから、ユーラシア大陸横断鉄道の支線として、鉄道連絡船を使い、パリとロンドンをつなぐ鉄道を建設しよう、という提案を受けて、頭を痛めることになった。
ローマ帝国にしても、東方のイルクーツクからモスクワを経てワルシャワ等に至る幹線はともかくとして、ローマ帝国内の主要都市といえるキエフやコンスタンティノープル、ローマと、どのようにユーラシア大陸横断鉄道をつなぐのか。
ポーランド=リトアニア共和国やドイツ帝国も巻き込んだ議論が行われる事態が起きることになった。
そういったことについて、日本にしても他人事として傍観する訳には行かなかった。
日本の京の都から赤間関(下関)まで鉄道を建設、更に鉄道連絡船を使って釜山へ渡って、そこから京城を経て義州へと朝鮮半島で鉄道を建設し、、更に満州の大地を通って、イルクーツクにまで鉄道を建設することになるのだが、満洲の大地でどのように鉄道を建設するのか、幾ら李氏朝鮮が後金国の属国とはいえ、李氏朝鮮政府の意向を日本政府や後金国政府が完全無視する等、できる筈が無い。
又、満洲の大地における鉄道の建設についても、それこそ軍事的側面と民生的側面を両立させる必要があり、更に現地の住民との調整が必要不可欠なのだ。
そんなこんなを実際に鉄道が建設される諸国政府が考える一方、北米共和国は積極的に様々な協力を諸国政府に申し出ることにもなった。
それこそ新規に建設される鉄道を現物担保にするので、実際の債務返済は無用(とはいえ、その内容をよく読みこめば、鉄道の経営利益のほぼ全てが北米共和国政府に吸い取られるのだが)という借款までチラつかせることで、北米共和国は利益を得ようと画策する事態が起きた。
更に言えば、北米共和国は北米大陸を事実上は横断する北米大陸横断鉄道の建設を実際に行っていたという実績があった。
(事実上という枕詞がつくのは、この1615年現在に至っても、北米大陸西岸部の枢要部、具体的には北緯49度以南の北米大陸西岸部は日本領、細かく言えばカリフォルニア自治領だったからである。
そして、経済的事情等から北米大陸横断鉄道は北米大陸西岸部まで建設済みだったが、そうは言っても色々と日本本国、北米共和国、カリフォルニア自治領の政府の思惑が入り乱れている鉄道だったのだ)
だが、裏返せば、これだけの多くの国々の利害が複雑に絡み合う以上、逆に戦争とかを引き起こし、ユーラシア大陸横断鉄道の建設が出来ない、と言う事態が起きれば、それこそ世界中から批判の嵐が巻き起こるという現実があった。
こうしたことから、遅々とした歩みになるのは止むを得なかったが、ユーラシア大陸横断鉄道の建設が徐々に進んでいたのだ。
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