第77章―20
そんな直江兼続の想いを完全に無視して、今上(後水尾天皇)陛下の指名に基づいて、衆議院は伊達政宗を首相として承認した。
更に貴族院も、同様に政宗を首相として承認したことから、政宗は組閣作業に掛った。
中国保守党からは事前の約束通りに毛利輝元を外相に迎え、宇喜多秀家を副首相兼商工相に迎える等、政宗は手堅い組閣を行い、まずは無難な政権運営ができるような基盤を作り上げた。
その一方で、中国保守党の与党参画は、野党に転落した保守党の衆議院議員やその支持者から寝返り等の批判を中国保守党に大して浴びせることになり、「保守合同」は極めて遠のくことになって、そうした意味でも、政宗は安心して日本の内外の政治を行える状況を作ることに成功した。
そして、1615年春現在、政宗は腹心の部下というよりも年下の盟友と言える秀家と、休日を利用して二人で会って、日本の国内外の情勢について、ざっくばらんに話をしていた。
尚、二人の傍には広橋愛がいて、珈琲を淹れてもいる。
「新幹線建設計画等、1615年度予算が無事に両院を通過して良かったな」
「保守党にしても、そう反対する理由が無かったですからね。バラマキと言われそうですが、衆議院総選挙直後の予算は、どうしても選挙での論功行賞という側面が出ますから。お互いにずっとやってきましたし」
「そう言われればそうだな」
二人は、まずは予算に関する話をした。
実際、二人の言葉通りで、尼子勝久内閣から始まった新幹線建設は、徐々に本格化している。
とはいえ、様々な難工事が必要であり、未だに京から博多までの新幹線は営業運転に至っていない。
その一方で、地方の新線建設も支持者に対する見返りもあって行わない訳には行かない。
そんなこんなで、バラマキ予算が組まれたのだ。
「それはともかくだ。本当に宮中に自分は入りづらい。恩のある二条元首相が内大臣だからな。それに広橋愛の義妹、尚侍が控えているからな」
「厄介ですな。それにしても、尚侍が今上陛下に文芸等の趣味を勧めているのは本当ですか」
「本当のようだ。楊貴妃と玄宗のようだ、と伯母(の織田美子)は言っている」
「何とも際どい例えですな。本当に尚侍と今上陛下の間に、(肉体)関係は無いのですか」
「ああ。夜には必ず私邸に尚侍は帰られるし、昼間は複数の宮中女官が必ず尚侍の傍に居て、皇后陛下もよく尚侍の傍におられる。そんな中で二人に関係がある等、勘繰り過ぎだ」
二人は、宮中の現状について話した。
その二人の言葉を聞いて、広橋愛は考えた。
義妹の美子は、私に隠していることがあるようだ。
ひょっとして、美子と今上陛下は未来、鷹司信尚が若死にして、二人が再婚するという未来を、二人は共に知っているような気さえする。
未来が精確に見える人がいない以上、勘繰り過ぎだと自分でも考えざるを得ないけど。
そんな広橋愛の想いを無視して、二人の話は更に外国へと飛んでいた。
「中央アジアのステップ地帯の農牧業振興について、日本の力を借りたい、とリンダン・ハーンが後金国を介して言ってきていますが、協力されるおつもりですか」
「協力しない訳には行かない。何しろ内々にだが、オスマン帝国からも同様の依頼を受けている」
「ユーラシア大陸横断鉄道建設に関連して、鉄道周辺地域の経済振興というカバーを掛けた方が、色々な意味で無難なことになりそうですね」
「まあな。ローマ帝国のエウドキヤ帝が「タタールの軛」を忘れる筈が無い。そう警告を各所から受けている以上、カバーは必須だ」
秀家の言葉に、政宗は相槌を打つかのような言葉を発していた。
広橋愛は想った。
本当にユーラシア大陸情勢は、この後、どのように動くのだろうか。
これで第77章を終えて、主に東アジア以外のユーラシア大陸の現状を描く第78章になります。
尚、今上(後水尾天皇)陛下と鷹司(上里)美子の現在の関係についてですが、一部からは高宗と武則天というべきでは、と言われている現状が裏ではあります。
(玄宗と楊貴妃、どちらの関係に似ているのかは、読者それぞれの御考えに任せます)
ご感想等をお待ちしています。




