第77章―14
話中で「ボンボン」と言う言葉が出てきますが。
本来からすれば、この世界で「ボンボン」という言葉が出来るのはおかしいです。
とはいえ、「ボンボン」以外に適当な揶揄する言葉が、作者の私の言葉が貧困な為に出てきませんでした。
どうか緩く見て下さい。
宇喜多秀家は、敢えて少し声を潜めて言った。
「皇軍が来訪して以降、対明外交は、
「以後、明帝国を対手とせず」
が基本方針でした。日明間では、国交断絶状態が続いていたと言っても過言でありません」
「仰られる通りです」
「明帝国内部が少々混乱するのは、内政不干渉の原則からも日本は黙認できますが、混乱が酷くなりすぎて、大量の、それこそ何十万、何百万といった難民が日本に向かうのを、座視できますかな」
「いえ、そう言う訳には参りませんな」
毛利輝元も、少し声を潜めてやり取りをした。
「そうなると明帝国へのそれなりの介入を、日本は検討せざるを得ません。更に言えば、様々な筋から後金国等に、明帝国内からの小規模ながら難民の流入が起きつつあるとの情報が入っています」
「これまでの与党政府の一員として、私もその情報には接しています」
「このような状況に至った以上、それなりの決断を日本政府はせねばならない。そうした際のために、これまで中国保守党が大内家から受け継いだ対明外交の資産、更には他でも培ってきた外交面での力を活かしていただけないものでしょうか」
「そこまで中国保守党を買って下さるとは」
二人のやり取りは、更に深まった。
実際、宇喜多秀家にしても、嘘は全くついていない。
中国保守党の党首を務めた小早川道平は、それこそ島津義久から木下小一郎、二条昭実に至るまで20年以上も外相として、日本の外交を主導し続けたのだ。
そして、小早川道平の後を継いだ吉川広家も、尼子勝久の下で外相を8年に亘って務めてきた。
そうしたことからすれば、中国保守党党首は外交のエキスパートといってよく、更に大内家から毛利隆元等へと受け継がれた対明外交の資産も考え合わせれば、労農党と中国保守党が、明帝国の混乱を危惧して手を組むのも当然のこと、と日本の輿論、多くの有権者は考える現実がある。
だが、その一方で、中国保守党が労農党と手を組むということは、「保守合同」が少なくとも当面は完全に潰れるということだ。
そして、保守党の国会議員及びその支持者等は。中国保守党の寝返りに激怒するだろう。
だから、毛利輝元は、本来ならば逡巡した上で、宇喜多秀家の提案を受け入れるべきだったが、秀家の言葉に感激した輝元は、そこまで考えが及ばなかった。
「宇喜多秀家殿、私自らが中国保守党内の説得に努めましょう。労農党と中国保守党は手を組んで、日本の為に尽くすべきです。そうしないと、明帝国内の混乱に対処できないと考えます」
「そこまで言って下さるとは。党首の伊達政宗は、毛利輝元殿を外相にするおつもりです。その準備をお願いしますぞ」
「それは有難い」
宇喜多秀家と毛利輝元は合意に達した。
そして、この後は速やかに毛利輝元自身の働きかけ、更には広橋愛らの影働きもあって、中国保守党は、それこそ吉川広家を除いて、労農党との連立に合意する事態が起きることになった。
だが、この動きを冷ややかに見る者が出るのも当然だった。
「全く毛利輝元はボンボンね」
「ボンボンですか」
鷹司(上里)美子は、磐子とそうやり取りをした。
「宇喜多秀家の父、宇喜多直家の所業を、輝元は知らないのかしら。あの父の為に、エジプト独立からローマ帝国復興と言う事態が起きて、今に至るのよ」
「確かに」
「その息子の言葉に裏が無い訳が無いでしょうに。更に織田信長夫妻に秀家は鍛えられたのよ」
「そう言われれば」
「身内を悪く言いたくはないけど、そういった男の言葉を素直に信じるとは、本当にボンボンよ」
美子の更なる皮肉、追い討ちに、磐子と言えども、無言で肯かざるを得なかった。
その一方、美子は考えた。
内大臣人事をどうすべきか、頭が痛いわね。
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