第77章―12
この章が終わった後で、割烹で補足説明をしますが。
日本の日明(勘合)貿易ですが、細川氏と大内氏が事実上は競い合っていた、と私は理解しています。
そして、細川氏と大内氏が結果的に日明貿易の様々なノウハウを蓄積していましたが、「皇軍来訪」の結果として、細川氏は消滅と言っても過言でない事態が起き、この世界では大内氏のみがノウハウを継承する事態になります。
更に大内氏のノウハウは、毛利氏を介して、中国保守党が受け継ぐ事態が起きた、という裏事情が起きたということでお願いします。
実はそうした状況下において、結果的に日本の輿論が納得しそうなのが、中国保守党の党首である毛利輝元の外相就任だった。
毛利輝元の父は言うまでもないことだが毛利隆元で、この世界の毛利隆元は、生涯を外務省の高級官僚として送った末に定年退職して終えたのだ。
(史実の毛利隆元の死は、病死説と毒殺説と両説がありますが。
死亡時の状況に加えて、毒殺の際に主犯とされている和賀誠春が、毛利元就から嫌疑を掛けられても、疑惑を晴らすように動いていないこと等から、私は毒殺説を取っています)
そして、毛利隆元が外務省に入った経緯、理由だが。
毛利隆元が大内義隆の養女の婿であり、大内氏が長年に亘って培ってきた対明外交の様々なノウハウを大内義隆から隆元は教えられ、外務省に入って自分の出世に生かそうと考えたのが大きかったのだ。
だが、皮肉なことに毛利隆元の存命の間は、日本と明は国交断絶状態が続くことになり、毛利隆元が受け継いだノウハウが生かされることは無かったのだ。
その一方で、そのノウハウは毛利家の縁から、中国保守党内で受け継がれており、小早川道平が島津義久内閣等で外相に就任し、更に吉川広家が尼子勝久内閣で外相に就任した背景には、いざという場合に対明外交を展開する際には、大内家から毛利家、中国保守党へと受け継がれたノウハウが役立つという神話めいたモノがあったのだ。
だから、明本国内が混乱して、明本国から周辺諸国に難民が大量に流出しないように、日本本国が明に対して働きかけないといけない以上、中国保守党を政権与党にする必要がある、という論理は、それこそ労農党の内外、日本本国の輿論に受け入れられやすいのが現実だった。
伊達政宗は、そういった背景も合わせて、中国保守党内部への工作を表からは宇喜多秀家らに、裏からは広橋愛に命じた。
最も、その一方では、政宗自身が、自らの伯父になる小早川道平の下を密かに訪問していた。
「よく来たな。とうとう首相に成れるとは。甥の出世に、儂も鼻が高い」
密やかに訪問して来た甥の政宗を、まずは道平は歓迎した。
だが、それが表面上なのを、共に承知している。
「政界屈指の寝業師と謳われた伯父貴から、そんなことを言われては、却って私は怖くなりますよ」
「儂の寝技等、(織田)美子姉さんに比べれば可愛いモノだがな」
「何とも返答に困りますね」
甥の皮肉に、伯父は更なる皮肉で返した上で、二人の密談は始まった。
「中国保守党と労農党は連立を組もうと考えています」
「そんな必要は無いだろうに」
「明本国の混乱を抑えるためです。それなりの外交手段を日本は調えないと」
「大内氏のノウハウ等、最早、当てにできる筈が無い、と儂は考えるが」
「そうかもしれませんが。多くの日本国民の見方は、又、別です」
「その通りだな」
伯父甥の会話は、お互いに皮肉を交えながら進んだ。
「それで、何をして欲しいのだ」
「中国保守党が、労農党と手を組む際に沈黙を保って頂けないかと」
「沈黙すれば良いのか」
「沈黙こそが最善でしょう」
「流石は儂の甥だな。落としどころが分かっている。良かろう、そうしよう」
伯父は笑いながら、甥に言うことになった。
「話を変えるが、お前の第一秘書は、儂の実の姪なのか。勝利兄がそう吹聴しているようだ」
「そんな筈が無いでしょう」
「その通りだな。だが、余りにも真実味がある。真に面白い」
伯父は、もうこれ以上は話したくないようで、露骨に話題を変えてきて、甥はそれに合わせて話を打ち切って、伯父の下を辞去した。
道平も政宗も想った。
広橋愛が、自分達の血族の筈が無いのだが。
本当に織田(三条)美子の血を承けているような気が、広橋愛はしてならないな。
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