プロローグ―3
もし、自分が何時頃に死ぬのか、それが分かっていたら。
本当に人それぞれの対応になる気がします。
(尚、私はそれが分かったら、取り乱して、信じない人です)
数日の間、鷹司(上里)美子は悩んだ末に、義父の鷹司信房と向かい合う事態になっていた。
「急に息子の信尚を外して、私と話し合いたいとは何事かな」
息子の嫁である美子に対し、信房は尋ねて来た。
「単刀直入にお聞きします。「皇軍資料」を閲覧したことはありますか」
「いや、無いな。異なる歴史が流れている以上、見る必要は無い」
美子の問いに、信房は即答した。
「仮にです。もし、「皇軍資料」の通りに病死した人は亡くなっているのを知ったら、義父上は見たいと考えますか」
「いや、私は見たくない。特に自分が産まれた頃からすれば、自分は「皇軍資料」の通りに生まれ育ったはずだから。何時、自分が死ぬのか、私は知りたくないな。最も息子の信尚は違うだろうがな。こちらの世界では、ローマ帝国の参謀総長にまで佐々成政殿は出世したが、「皇軍資料」の世界では尾張の国人として生涯を終えただろう。だから、私と妻が知り合って、結婚することは無い筈だ。つまり、信尚は「皇軍資料」の世界とは違う流れで、産まれた子どもということになる。だから、「皇軍資料」では信尚が何時死ぬのか、分からないだろうな」
美子と信房の会話は続いた。
美子は信房の言葉を聞き終えた瞬間、それは違います、夫は「皇軍資料」の通りに産まれています、と思わず叫びたくなった。
だが、美子は懸命に自制した。
そう自分が叫んでも、義父が信じる筈が無い、と察してしまったからだ。
伯母の織田(三条)美子も言ったように、人は信じたいモノを信じるものだ。
だから、義父に息子に先立たれる、と私が予言しても、義父はそれを信じないだろう。
更に言えば、義父にしてみれば、「皇軍資料」は既に無価値な代物のようだ。
美子はこういった現実から、少なからず踏み込んだことを言うことにした。
「義父上の御考えは分かりました。この際、「皇軍資料」を全て焼却処分したいと考えますが、如何でしょうか」
「「皇軍資料」を焼却処分するだと」
美子の言葉に信房は絶句した。
「はい。違う歴史が流れて、約70年が経ちます。そのような資料は最早、無価値で焼却処分するのが相当だと考えます」
「しかし、「皇軍資料」を勝手に焼却処分する訳には行くまい。幾ら御上(今上陛下)が了解しても、他の摂家の面々も了解した上でないと、色々と後で問題にならぬか」
「確かにその通りでしょう。私が御上や他の摂家の方々を説得して回ります」
「美子がそうしたいのなら、儂は止めぬが」
美子の裏の気迫にたじろいで、信房は渋々言わざるを得なかった。
「ありがとうございます」
美子はそう言って、摂家の面々の説得に掛った。
美子が一番に説得に赴いたのは、近衛前久だった。
「急に来るとは何事かな」
「近衛前久殿は、「皇軍資料」を読まれたことはありますか」
「無いとは言わぬな。だが、儂は余り読まなかった。違う歴史のこと等、知っても無駄だ」
「そうですね」
前久と美子はやり取りをした。
「私は「皇軍資料」を全て焼却処分したいと考えますが、近衛前久殿は賛同してもらえますか」
「賛同しよう。もう、あのようなモノ、焼却処分すべきだ」
「有難うございます」
五摂家の最長老の近衛前久が賛同すれば、他の摂家はほぼ従う。
そう考えた美子は安堵したが、前久はボソッと言った。
「儂は今年中に亡くなるだろう。死ぬ時期が分かるのは何とも言えぬな。他の者が、そうした想いをせぬようにする必要がある」
美子は改めて考えた。
近衛前久殿は、「皇軍資料」を読み、自分の死期を察しておられたのか。
もしや後陽成天皇陛下を押し込めるのを主導されたのは、死を前にして心残りを無くされるためだったのかもしれない。
美子は何とも言えない想いがした。
ご感想等をお待ちしています。




