第76章―9
そうは言っても、鷹司(上里)美子の尚侍復帰という大事である。
ここに至るまでには、様々な紆余曲折があった。
千江は姉の九条完子に、まずは相談した。
「美子ちゃんの尚侍復帰かあ」
「どうでしょうか」
「宮中取締りの切り札なのは間違いないけど、逆の事態を起こしそうな気が」
完子は妹の相談に明け透けに答えた。
完子とて、それなり以上に公家の中で育った身である。
だから、様々な噂を耳にする機会があり、親友の美子に対して、今上陛下が執心しているらしい、と言う噂を様々な人から聞かされている。
そして、美子が尚侍を罷免されたのを惜しむと共に、美子にしてみれば、今上陛下からの執心から逃げれて良かった、と完子は考えている。
それなのに、美子を尚侍に復帰させては、今上陛下の執心が高まることになりかねず、美子にとっては迷惑以外の何物でもない。
だが、宮中取締りは急務である一方、14歳(で現実世界で言えば中学生)の妹の千江が皇后では、宮中取締りが充分にできない現実がある。
美子が尚侍になれば、内侍司は完全に引き締まり、宮中の取締りに問題無くなるだろう。
完子は、自分なりにそこまで考えたが、他の人にも聞くべきとも考えた。
「千江、皇太后陛下には意見を聞いた」
「まだですが」
「皇太后陛下にも意見を伺うべきよ。貴方の義理の母上でしょう。それに近衛家の姫君なのよ」
「確かに」
千江は姉の言葉に納得した。
確かに近衛家の姫君でもある皇太后陛下、前子様の意見を聞かない訳には行かない。
「鷹司(上里)美子の尚侍復帰?」
「はい、私ではどうにも宮中全体に目が行き届きません」
「こうした場合、貴方が京の公家育ちで無いのがつらいわね。公家育ちだと、自然と(女性の)人脈ができて、それで、宮中を取り締まれるのだけど」
義理の母子という仲もあり、皇太后陛下は千江の問いに気安く答えながら、考え込んだ。
悪い案ではない。
美子を御姉さまと呼んで、嫁の千江は親しんでおり、美子が尚侍に復帰して、宮中に詰めれば、いつでも千江は美子に相談できるようになる。
それに、千江は京で育つどころか、外国出身なのだ。
公家の人脈は精々が姉の完子が頼りと言ったところで、皆無に近い。
そういった点でも、美子が尚侍になれば問題が解消される。
美子の人脈は幅広い。
自らの血縁だけでも、九条家や中院家と直に繋がり、甘露寺家や広橋家といった家にも繋がるのだ。
織田(三条)美子の繋がりまで使えば、公家社会の多くに何らかの繋がりがあるのだ。
そういった背景があるからこそ、先年の猪熊事件で美子は剛腕を振るえたのだ。
だが、その一方で、美子に息子の今上陛下が執着しているのが頭が痛い。
そして、美子もそれを熟知している以上、尚侍復職を拒むだろう。
私が動けば、美子と言えども拒み切れないとは考えるが、それはそれで、夫の激怒を生みそうだ。
自分としては、夫の自業自得としか、言いようが無いのだが。
皇太子の縁談、婚約問題から、皇室典範改正、夫の強制譲位まで、それこそ織田(三条)美子の実の孫のように、鷹司(上里)美子が辣腕を裏で振るったように、夫やその周囲には見えている。
二人が赤の他人であることは、容貌や文芸の才能の有無から間違いないのだが、その政治的才覚は本当に実の祖母と孫娘であるかのように、共に素晴らしいものがあるからだ。
だから、美子には鷹司家に事実上は籠ってもらい、夫の怒りのほとぼりが冷めるのを待つべきだ、と自分は考えるが、宮中取締り問題は喫緊の課題である以上。
皇太后陛下は悩んだ末に自分は全く動かないことにし、完子と千江に対しては、美子に尚侍復帰を頼むように指示した。
そして、美子は二人からの頼みを峻拒した。
最後の辺りの皇太后陛下の考え、行動が分かりにくいか、と作者としても考えるので少し補足します。
皇太后陛下としては、自らが美子に対して尚侍復帰の依頼等をしては、怒っている夫、後陽成上皇陛下との夫婦関係が完全に破綻し、後陽成上皇陛下及びその周囲と自らの父である近衛前久を領袖とする公家の多数派の架け橋役が全くいなくなると危惧しているのです。
だから、自分は美子の尚侍復帰に内心では賛同していても、自分は全く動かないことにした次第です。
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