第76章―7
既述ですが、広橋愛の故郷は、イスラム教スンニ派過激派によって完全に破壊されている現実があり、その為に真実を語れる者は、ほぼいないという現実があり、そういった背景がこの話の裏にあります。
(更に言えば、いわゆる陰謀論者に言わせれば、そういった反証が示せない地域の出身に広橋愛が成っていることが、自らの主張の証拠になるという「悪魔の証明」の事態が引き起こされています)
そして、皇太子殿下の御成婚式の直後、織田(三条)美子は、義理の姪になる広橋愛と鷹司(上里)美子を自邸に読んで、自分が広橋愛の実母で、鷹司(上里)美子の実祖母という噂が流れている等の弟の上里勝利から聞かされた裏事情について、密やかに説明した。
それを聞いた広橋愛だが、
「本来ならば、私の父母や親戚、同郷の知人に、それは全くのねつ造と言ってもらえば済むのですが、現状では不可能ですね」
と零さざるを得なかった。
実際に愛が言う通りだった。
(既述だが)広橋愛の故郷である村は、イスラム教スンニ派原理主義者によって、広橋愛の実両親を始めとするマンダ教徒の住民の殆どが虐殺される事態が起きており、僅かに生き残った愛を始めとする面々は奴隷として売り飛ばされたのだ。
勿論、その村の近隣には他の住民もいたのだが、マンダ教徒の北米共和国への大量移住が起きた現在からすれば、今や広橋愛が本当はチグリス・ユーフラテス川傍の村で生まれ育った身で、織田(三条)美子の隠し子というのは大嘘だ、と証言してくれる者は誰一人いないと言っても過言では無いのが現実だ。
一方、鷹司(上里)美子は、織田(三条)美子と広橋愛の会話を聞いて、改めて考えた。
まさか、そんな根も葉もない噂が、世界中で流されるなんて、本当に噂は怖ろしい、
更に言えば、伯母の織田(三条)美子が言う通りで、下手に否定するようなことを自分達が主張すれば、却ってこの噂を広めることになりかねない。
だが、その一方で、鷹司(上里)美子は、別のことも考えた。
伯母の織田(三条)美子のやらかしからすれば、私が実孫呼ばわりされても当然かも。
私もかなりのことをやらかしてしまったものね。
そんなことが鷹司(上里)美子の身辺では起こったが。
その一方で、粛々と進むべきことは進むのも現実だった。
1611年7月、
「朕に譲位を強いるのか」
「そもそも譲位すると言われたのは、御上では。御上の希望を叶えるまでです」
そんな感じで、今上(後陽成天皇)陛下に対し、近衛前久を始めとする公家の多数派は主張して、今上陛下の譲位は(事実上は)強行され、皇太子殿下が今上(後水尾天皇)陛下に即位した。
「本当に悪逆非道、こんなことが世界最大の大国の君主に対して行われて良いのか」
と今や上皇陛下となった後陽成天皇陛下は、近臣に対して嘆かれたが。
近衛前久や織田(三条)美子を始めとする公家の多数派にしてみれば、後陽成上皇陛下の自業自得にも程がある事態だった。
何しろ帝は法の外にあるとして、後陽成上皇陛下は皇室典範廃止を公然と主張されたのだ。
幾ら何でも看過できない。
帝と言えども法の下にあるとして、後陽成上皇陛下は押し込めざるを得ない。
そうしないと、それこそ何れは、かつての建武の新政等の悪夢が引き起こされて、最後には皇室存亡の危機という事態を招きかねない。
というのが、五摂家の総意であり、又、公家の多数派の考えで。
こうしたことから、今上(後水尾天皇)陛下の即位と言う事態が起きた。
更には、この事態から(徳川)千江は皇太子妃殿下から皇后陛下になる事態が起きたのだが。
千江は早速、困惑せざるを得なかった。
「私は北米共和国から嫁いだばかりで、更には中学生なのよ。宮中のことが全く分からないわ」
千江は、取りあえずは姉の九条完子を頼ったが、完子にしても、
「私は宮中で働いたことが無いから、妹の千江に頼られても」
と困惑する事態になってしまった。
こうなってくると、完子と千江にしてみれば、頼るべき人は一人しかいなかった。
「御姉さま、援けて」
「美子ちゃん、妹を頼むわ」
鷹司(上里)美子は、徳川家の姉妹からの頼みに頭を抱え込むしか無かった。
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