第76章―4
そんな風に鷹司(上里)美子と徳川千江の間には、思わぬ姉妹関係(?)が結ばれることになったが。
その一方、今上(後陽成天皇)陛下の譲位問題についても、1611年4月中にそれなりの結果がもたらされることになった。
「今上陛下の生前譲位を認め、上皇位を創設する皇室典範改正ですが、本会議において可決成立しました」
「万歳、万歳」
衆議院本会議でも同様だが、法律等の改正が可決成立した際には、万歳、万歳、という掛け声が賛成した議員の面々から挙がるのが、貴族院本会議でも完全に恒例になっている。
そうした背景から、皇室典範改正が可決成立した、との貴族院議長の言葉に応じて、万歳、万歳という掛け声が賛成した議員の面々から一斉に起きることになった。
貴族院本会議の場で、織田(三条)美子は、この状況を完全に斜めに見ざるを得なかった。
本当に何のために、万歳、万歳、と言っているのかしら?
今上(後陽成天皇)陛下の本心は、何処にあるのかしら?
完全にへそを曲げて、今上(後陽成天皇)陛下は、言いたいことを言っているだけでは?
本来からすれば、日本人ではないことも相まって、美子は皮肉な見方をせざるを得なかった。
美子の見方は、皮肉がきつすぎるというのが、現実的な話ではあるが。
この皇室典範改正によって、「皇軍来訪」に伴う皇室典範制定以降、ずっと認められていなかった今上陛下の生前譲位が認められるようになったのは、間違いない現実だった。
だから、この皇室典範改正によって、今上陛下が望んでいた生前譲位が可能になったのだ。
だが、その一方で、表面上は皇室典範や憲法の下には置かれない上皇が存在することになることについて、美子やその周囲は、漠然とした不安を覚えざるを得なかった。
実際、あながち間違っているとは言い難い話だった。
(既述だが)今上(後陽成天皇)陛下の主張は、美子の言う通りだったからだ。
「譲位だ。皇室典範の下に置かれる帝等、屈辱以外の何物でもない。そんな皇位等は譲るまでだ」
そう、ここしばらくの間、今上(後陽成天皇)陛下は公言し続けていたのだ。
そこまで仰せならば、と周囲が配慮して、皇室典範を改正しようとしたら。
「臣下が勝手に朕を譲位させようとするとは。本当に臣下は皇位を地に堕とそうとしている、ここまで皇位が臣下に弄ばれるとは。断じて赦されない話だ」
と今上(後陽成天皇)陛下は、落涙して近臣に訴えまくっているとか。
「それならば、どうすれば良いのですか?」
という近臣の問いに。
「皇室典範を廃止すれば良い。それこそ天皇主権国家である日本の姿ではないのか」
と今上(後陽成天皇)陛下が答えられた。
と仄聞しては。
美子としては、今上(後陽成天皇)陛下を、将来の天皇制、国体保持の為にも押し込めるしかない、と覚悟を固めざるを得なかったのだ。
言うまでも無いことだが、美子の考えは臣下としての分限を完全に越えるものだ。
だが、その一方で、何とも皮肉なことに「皇軍」がもたらした近現代の憲法、立憲主義等の考えからすれば、美子の考えこそが正しい、といえるのが何とも言えない事態を引き起こしている。
「法の支配」に、国王、皇帝といえど従うべき、というのが近現代の立憲主義の根本といえるからだ。
だから、「法の支配」は認められない、天皇は法の外にある存在だ、と今上陛下が言われては。
美子(及び五摂家を中心とする公家の多数派)は、今上陛下を押し込めざるを得ないと考えたのだ。
そういった考えの結果として、皇室典範は改正されて、今上(後陽成天皇)陛下は、皇太子の政宮殿下が御成婚式を果たされた後、譲位する予定に内々ではなっている。
美子はこれ以上揉めないことを願った。
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